表現の自由と都条例

東京都青少年健全育成条例の改正問題でネット上の意見を見ていると、実に不思議だ。表現の自由の規制に反対と言っている者たちの多くが、表現の自由を規制しろと叫んでいるからだ。反対派にそう言う者たちが非常に多いのは、表現の自由のことなど大して考えていない者ばかりだからなのだろう。

特に多いのが、石原慎太郎の小説の例を出して、小説を規制しろと言っている反対派だ。他にも、ドラマや映画を規制しろなどと言っている反対派も多い。これは、表現の自由の規制反対派どころか、真っ当な表現の自由の規制賛成派だ。漫画のことしか考えられずに「漫画以外を規制しろ」などと言う者たちが表現の自由を標榜して叫んでいるのを見ると、重大な意味を持つ本来の表現の自由が本当に穢されている。

表現の自由を標榜するのなら、小説を規制するな、ドラマや映画を規制するなと言わなければならない。ネットde表現の自由の連中はそれとは真逆で、まるで漫画以外が規制されればいいと思っているかのようだ。こういう反対派が非常に多いのは、自らの趣向の漫画に規制が入って急に表現の自由を標榜しだした者ばかりなので、表現の自由ではなく、単に趣向の自由を叫んでいるだけだからだろう。

AVの実写を規制しろという反対派も多いのを見ると、この都条例が何なのかすらも分かってないのだろう。この都条例は、未成年への販売規制だ。それを拡大解釈して、『アンパンマン』や『プリキュア』は敵を倒せなくなるなどと言って、『ドラゴンボール』『エヴァンゲリオン』『ワンピース』『名探偵コナン』『ルパン三世』も見れなくなるなどと言い、さらには『ドラえもん』や『サザエさん』も見れなくなるなどど言って、しずかちゃんのパンチラが規制されると本気で言っている反対派が少なくない。

アダルトビデオの未成年への販売規制や陳列規制はすでにされているのはレンタルビデオ店などを見ても分かるので、AVのほうを規制しろと言っている反対派は、都条例が何を規制するのかが分かっていない。漫画は二次元なので、AVの実写よりも未成年への規制はされてこなかった。AVも同じにしろと言っている反対派の連中は、AV並に漫画も規制しろと言っているのだろうか。AV並に漫画も規制するのなら、漫画の一般誌は成人コーナーに行くことになる。

反対派は、都条例によってなし崩し的にあらゆる表現の自由が規制される危険性があると言っている。そのなし崩し的に表現の自由を規制しろと言っているのが反対派なのだから、馬鹿げた「表現の自由」反対運動だ。反対派は漫画の未成年への販売規制の条例が気に入らないために、小説、ドラマ、映画などあらゆる表現の自由を規制しろと言っている。そして、漫画よりも、漫画以外のほうが「有害」だからなどと言って「表現の自由」を標榜しているのだから、笑止千万とはまさにこのことだ。そういう反対派のなし崩し的な規制論は漫画への規制をさらに強めて、自らの首を絞めるだけだ。

自分の趣向にあった漫画さえよければ、他の表現の自由はどうでもいいという者が表現の自由を標榜するのは、表現の自由という重大な意味を持つ自由が穢されるだけだ。都条例など比べ物にならないくらいに明らかに表現の自由を規制しろと言っている者たちが、反対派なのだから。都条例は未成年への販売規制の拡大解釈で表現の自由の問題になっているのだが、反対派が小説やドラマ、映画などに言っているのは、漫画よりもそれらの表現の自由を規制しろと、直球で表現の自由を侵害することを言っている。

ネットde表現の自由を叫んでいる反対派の連中は表現の自由にとっての敵である者ばかりなので、表現の自由を本当に真摯に考えるのならば、賛同することなどあるわけがない。

他にも気になるのは、漫画のエロの自由を言いながら、一般誌はエロに「落ちたくはない」などと言うことだ。それは、結局、漫画のエロを忌避していることだ。「エロ漫画家やエロ漫画とは違って崇高な漫画を描いているワタシ」というのではなく、漫画のエロを肯定するために、エロ漫画にある優位性を説いてこその表現の自由だ。エロの大切さを訴えているのに、エロを否定して、エロを忌避してどうする。世間一般から見て「有害」ではないと思われている漫画を前面に出して反対しているのを見ても、漫画のエロを忌避しているのは、どこの誰だと言いたくもなる。

追加のメモ

「それならネットを規制しろ」とか言っている反対派を見ると、ネットde反対派の連中は明確に表現の自由の敵である。未成年への規制を拡大解釈して成人のネット規制につなげるのは、ひどく強硬な賛成派が言っていることと同じだ。

2010年12月掲載


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