うどんかるたに色白美人すら女性差別なら

香川県のうどんかるたの「強いコシ 色白太目 まるで妻」が問題だと言われている。おいでまいのイメージガール募集でも、「色白でスタイルの良い方」「色白美人で透明感のある」と記載していたことも問題になって、色白と女性などの条件は外した。女性差別と言えば何でも通るという風潮が問題なのは、他の人権問題との整合性が全くないことだ。

片手落ちは障害者差別だというと、それは違うと言われる。元々の意味は違うから、障害者差別ではないと。しかし、女性の場合には「女の子」と言っただけでもセクハラと騒がれる。片手落ちは障害者差別ではないから問題はないと言いながら、女の子と呼ぶのは女性蔑視であると強く言われる。

女の子はセクハラで片手落ちは言葉狩りとは

今回のうどんかるたで女性差別と言いながら、その同一人物は、片手落ち、腰砕け、失脚を平然と使ってきただろう。女性差別をいう女性が、障害者差別には正当化する姿を何度も見てきたから。片手落ち、腰砕け、失脚などは健常者が都合よく作ってきた言葉で、このうどんかるたとか、色白美人などより人権侵害の程度は本来ひどいものだ。

しかし、失脚などは真面目な政治状況でも使われて、新聞でも堂々と使われている。このうどんかるたや色白美人ですら女性差別と言いながら、まさか、片手落ちや腰砕けや失脚が障害者差別と言われる社会は息苦しいとは言わないだろうし、言葉狩りとは言わないだろう。健常者の女への女性差別ばかりが問題になり、障害者差別がいつまでも放置されてきたことのツケである。

人権の整合性で考えると、「強いコシ 色白太目 まるで妻」などより、健常者が都合よく作ってきた健常者至上主義語のほうが遥かに問題である。こんな程度のことでも女性差別と声高に叫ぶ社会にするなら、健常者は障害者に相当気を使う社会にしなければ差別の整合性が図れないことを肝に銘じるべきだ。

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2015年12月掲載



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