選択的夫婦別姓を追及する素朴な者たち
夫婦別姓の問題点:夫婦別姓が男女平等,ジェンダー平等に反する理由に書いたように、夫婦別姓は人権を尊重したものではない。夫婦別姓と日本の夫婦同姓、そして選択的夫婦別姓の違いをまるで理解していないために、韓国の夫婦別姓の歴史を考えることができず、韓国の例をあげて選択的夫婦別姓と混同してしまう人が後を絶たない。
その違いを一応は理解した人たちの次の段階は、「それなら、選択的夫婦別姓に反対する人たちは人権を軽視しているからだな」と思い込み、選択的夫婦別姓を批判したり慎重である人たちに、女性差別者や女性蔑視者やバックラッシュ派などとも言ってくる。
こういう分かりやすい正義派は、なぜ「選択的夫婦別姓なんか重要ではない」などの批判があるのかを理解できずに、選択的夫婦別姓への賛成を躍起になって主張していく。「選択的夫婦別姓は、男女共同参画の政策の中心的課題だから」などと言い、男女共同参画に反対するのかなどとも言ってくる。行政が行う男女共同参画を信奉しているのだろうか。
選択的夫婦別姓を推進している者たちは、それこそが男女平等だとかジェンダー平等だとか主張している。「選択的夫婦別姓なんか重要ではない」などの批判は、そういう主張をしている者たちを警戒しているが、分かりやすい正義論を言う者たちはその警戒が理解できない。
選択的夫婦別姓に批判があるのは、選択的夫婦別姓は結婚の形の少しばかりの変容にすぎず、国が結婚した夫婦に法的な権利を与えることには変わりがないからだ。国が戸籍の元に夫婦別姓を登録した夫婦に特権を与える結婚制度を温存するという、その選択的夫婦別姓に対する批判がある。その選択的夫婦別姓が実現することで男女平等が実現したと言うのが選択的夫婦別姓を躍起になって無邪気に推進している素朴な者たちなので、その無邪気な者たちへの批判がある。
選択的夫婦別姓を批判しているのは、「共産主義思想に基づくフェミニズムによる家族解体の陰謀」なることを言う者たちだけではなく、選択的夫婦別姓も結婚制度の中にあるにすぎず、近代の家族像を自明視しているとしての批判がある。選択的夫婦別姓は、結婚制度を別の角度から照射したものである。選択的夫婦別姓を無邪気に追求している者たちは、よくある近代主義者の戯れであるといえる。
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2009年12月掲載