琉球新報「犯罪ゼロが「良き隣人」の最低限の条件」
『琉球新報』の2016年5月20日 06:01 付けの「<社説>米軍属女性死体遺棄 日米両政府に責任 防止策は基地撤去しかない」が呆れるほどの社説だった。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-282393.html
そもそも米軍人・軍属は県民が積極的に招いたわけではない。犯罪ゼロが「良き隣人」の最低限の条件である。それができなければ、沖縄にいる資格はない。
「犯罪ゼロが「良き隣人」の最低限の条件」とは、何か。これは、社会的弱者の歴史的経緯を全く無視したことだ。例えば、同性愛者の場合はどうだろう。世界の同性愛の歴史は、性的指向(×嗜好)が同性に向くからと、死刑になってきたし、リンチにあってきた。日本は世界的に見ると同性愛に寛容であったのは確かだが、それでも、石をぶつけられたりはしてきた。
「犯罪ゼロの正しさ」とは何か。これは、犯罪史を全く理解していないことだ。同性愛を見ても分かるように、犯罪の構成要件は、時の権力によって恣意的に決定されるものだ。『琉球新報』は極左と言われて反権力の極地と勘違いされていることがあるが、この権力側の恣意性に阿っている姿勢を見れば、一体どこが反権力なのか。弱者叩きに直接に繋がることを『琉球新報』がしているのだ。
例えば、障害者の場合はどうだろう。障害者は犯罪がゼロでないと良き隣人でないのか。その姿勢が、知的障害者を追い詰めることにはならないか。さらには、在日韓国人が犯罪ゼロでない悪い隣人であるから、朝鮮人を海に叩き込めとかにも繋がることを『琉球新報』は言っている。犯罪ゼロが「良き隣人」の最低限の条件と、最低限の条件とまで言っているので、これはゲシュタポにも繋がることだ。何が犯罪かは権力者が決めるから、おとなしき無垢な大衆はそれに従えということだ。
この『琉球新報』の路線でいくと、役立たずの障害者は、戦前の私宅監置も肯定することになる。犯罪が恣意的に決まるとは、現在では、売買春や大麻などがそうだ。禁酒法という馬鹿げた法は、時の権力の恣意的で無知な暴力で起こったものだ。売買春は被害者がなくとも、道徳的にけしからんとして規制している。売買春や大麻は、純粋な犯罪性で見ると、将来的には世界中で大した問題ではなくなるだろう。
つまり、犯罪は絶対的な基準ではなく時の権力の恣意的な暴力性があるので、「犯罪ゼロが「良き隣人」の最低限の条件」と言う『琉球新報』は、権力批判などする資格はない。こういう『琉球新報』のように、一見左翼のように見えるが、実は、権力側に阿ることは非常に悪質だ。これで、左翼もこう言ってるから、やっぱり、在日韓国人排斥は正しかったとなるわけだ。そもそも、『琉球新報』は今回のことや、経済政策を見ても、左翼とは思わないが。こんな『琉球新報』が日本の左翼の代表なら、日本の左翼はお終いだ。
そして、やはり、ここにも、女性差別が関わっている。何でも女性差別で強姦デマを流し関東大震災で約6000人もの朝鮮人を虐殺し、「左翼」と言われている『琉球新報』が何でも女性差別で犯罪ゼロが良き隣人の最低限の条件と言うのである。
やはり、当サイトで繰り返し言っている女性差別と言えば、権力側の暴力を肯定し、朝鮮人叩きさえも肯定する姿勢などに対する反省の女性学の視点を常に持ってないといけない。
反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。
2016年5月掲載
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