妊婦の知事体験より障害者体験

知事が妊婦体験をして、その状態で家事と育児をするのがどれだけ大変かをを経験しているそうだ。それを九州の知事がして、九州男児に警告していると。

何でこんなことができるかというと、健常女性様が辛いことだから数が大きく声が通りやすいからに他ならない。本当にしないといけないのは、障害者体験のほうである。

相模原障害者施設殺傷事件は、戦後最悪の殺人事件になった。そして、障害者を狙った障害者差別によって起こった障害者差別事件だった。しかし、報道では障害者差別があると言うことに非常に抵抗があった。

女性差別を言うより、障害者差別のほうが言及することをかなり避けるのである。そして、相模原障害者施設殺傷事件があったのに、それ以後も健常女性様への女性差別問題ばかりが噴きあがり、障害者差別なんかどこかに吹き飛んでしまった。

本当に理解が足りないのは健常女性様への「差別」ではなく、障害者差別のほうなので、障害者体験のほうこそするべきである。例えば、その中の一つの車椅子の体験をして、どれだけこの世界が障害者にとって動き辛いか、健常者様専用にできあがっているかを経験するほうが重要である。

もちろん、車椅子以外にも障害者体験はできる。

しかし、これを言うと、女性差別を隠蔽して障害者差別ばかり言うつもりかと反発するのだ。これは全く逆で、女性差別ばかり言うことで、障害者差別を隠蔽してきたのに。

スポーツの分野でも明白だ。

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男は出産の経験もしてないのに、つわりの経験もしてないのに、女の苦しみを軽々しく理解したつもりになるなという馬鹿な反発がある。それを障害者問題に当てはめるとどうなる。

健常者様は、障害者が断種されてきたように、断種されないと障害者の苦しみは理解できないから、健常者断種を開始しようとかそんなことにつながるだろう。

健常女性様の苦しみなど障害者問題の前にはかなり軽いものだが、私宅監置が何かを知らないし、障害者教育も義務教育で女性差別より非常に軽々しく扱われているので、何も知らない。

世の中で生きていくことの本当の辛さを体験させるのならば、妊婦経験という健常者様にとって心地がいいことをするのではなく、この世の中がどれだけ健常者様専用にできているかを知らせるために、障害者体験こそするべきである。

しかし、これを言うと、障害者を差別したい右側、女性差別に重点を置きたい左側に、フェミにも批判される、つまり、あらゆる層から批判される障害者問題の深刻さは、健常者様が大前提の世界で発言することには相当のタブーがある。

それで、結局、障害者は笑える存在であり続けろと、脳性麻痺の障害者がちっちゃな頃から寝たきりでとか言って、笑いの対象であり続けろ、障害者差別とか言い出すなって?

しかし、九州男児とか九州は男尊女卑とかいうのなら、関東大震災で東京人は何をした?関東大震災で朝鮮人虐殺を主にしたのは東京人だ。東京人は、朝鮮人に加えて、方言を話した地方人も虐殺した。

関東大震災朝鮮人虐殺は、約6000人もの朝鮮人が虐殺されたと言われている。日本の地域で最も差別がひどいのは東京地域であることを忘れて、九州の差別ばかりいうのは、東京地域はまた虐殺でもするつもりか?

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2016年10月掲載



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