素朴な規制反対派たち

藤本由香里は漫画の女性差別で表現の自由の規制派に理論提供した張本人

上記の記事を書いたら、はてなブックマークなどで色々な意見がきました。ありがとうございます。その中で多かった「法規制と批評の違い」についてなど。

はてなブックマーク - 藤本由香里は漫画の女性差別で表現の自由の規制派に理論提供した張本人

https://b.hatena.ne.jp/entry/www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/fujimoto-yukari/

font-da 「批判はするが、法規制に反対」がリベラルフェミニストの常道じゃん/もしかして藤本さんてフェミニストだということ忘れられてる……? 2010/12/09

こういう批評と法規制は別で分けられるものだと言っている人が多いが、それは反対派に都合のいい内輪の意見だという認識をしないといけない。ここで問題になっているのは、規制派と反対派の意見の食い違いだ。反対派の仲間内で、「規制派は反知性主義の馬鹿だから~」とか言ってるのもいるが、そんなことではどうしようもない。特にtwitterの仲間内で140文字以内でつぶやいている反対派の連中の排他的な姿勢を見ると、偏った反対派の意見をごり押ししているだけで、規制派の理論を調べてみようという気さえない者ばかりだ。

特にポルノ規制には、女性差別の批判が都合よく抽出されて使われるものだ。「批判はするが、法規制に反対」がリベラルフェミニストの常道じゃんと、そんなことを規制派に言っても関係ない。そんな内輪向けの議論は、ある業界用語を一般人に使って、そんな業界用語も知らないのかという井の中の蛙と同じだ。井の中の蛙のままなら永遠に規制派との意見は食い違い、いつまでも規制を心配しなければならなくなる。

藤本由香里の批評の思惑がどうであれ、実際に規制をする側は、その漫画の女性差別の主張を取り出して都合よく使うだけだ。規制派にとっては、批評と法規制はなだらかにつながったグラデーションのようになっている。反対派に「正義」があってもその「正義」が規制派には通用しないので、規制派の理論を考えないといけない。規制派の土台に乗って調べないと、これからいつまでも規制論議の繰り返しになる。しかも、藤本由香里は「マンガだから、というものではない」と言っている。そして、その藤本由香里が規制反対派の代表をしている。

反対派の私たちの理論ではこうだから、規制派の相手もその土俵に乗ってくれると思い込むのは、相当に素朴な意見だ。そうやって内輪向けの理論になるから、規制派に追い込まれるようになる。藤本由香里が『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』(朝日文庫)で言った漫画の女性差別批判は、日常的にもよくある女性差別を厳しく批判している。

日常的な女性差別でさえも厳しく批判するのなら、レイプして妊娠させるゲームや、小学生をレイプしたりする漫画のような遥かにひどい女性差別の2次元描写はどうなるのか。レイプして妊娠させるゲームは海外でも問題になった。

日本製「性暴力ゲーム」欧米で販売中止、人権団体が抗議活動 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

https://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090507-OYT1T01111.htm

 少女を含む女性3人をレイプして妊娠や中絶をさせるという内容の日本製のパソコンゲームソフトに海外で批判が高まっている。

 日本での販売中止を求める抗議活動を国際人権団体が始めた。このゲームは2月に英国の国会で問題になり、ビデオ・書籍のネット販売大手「アマゾン」が扱いを中止した。しかし、児童ポルノなどの規制が緩い日本では今でも流通している。

 このゲームは、未成年と見られる女子2人とその母親を電車内で痴漢した後にレイプし妊娠や中絶をさせるまでを、コンピューターグラフィックスを使った画像で疑似体験するという内容。横浜市のゲームソフトメーカーが2006年に売り出した。

 今年に入り海外の人権団体で問題視されるようになり、英国ではこのゲームをアマゾンで入手できることに驚いた国会議員らが同国内での流通に反対する動議を提出した。こうした動きが英国などのメディアで報じられ、英国アマゾンは2月にこのゲームの取り扱いを中止。米国のアマゾン本社も取り扱いの中止を公表した。

 しかし、日本では児童ポルノなどの法規制が緩く、日本の「アマゾン・ジャパン」は最近、このゲームの販売を中止したが、ほかの通信販売では今も入手できる。

 抗議活動を始めた国際人権団体「イクオリティ・ナウ」(本部・ニューヨーク)は「女性や少女への暴力をテーマにした産業が日本で高収益を上げ、『ロリコン』と呼ばれる少女の児童ポルノ市場も巨大化している」との声明を発表。「日本政府はなぜレイプを奨励するかのようなゲームの流通を止めないのか」と政府の対応にも批判を向ける。

 同団体は6日、このゲームを含むレイプ、監禁などの性暴力ゲームの制作会社や販売会社、麻生首相ら日本政府の要人らに抗議文を出すように、160か国の会員3万人に呼びかけ始めた。国内の人権団体の関係者なども、こうした活動を機に、販売会社などへ働きかけを行っている。

 このゲームのメーカーは、「この商品は業界で作る自主審査機関を通っており、国内向けに販売しているもの。海外の団体からの抗議は承知しておらず、コメントのしようがない」と話す。販売本数は明らかにしていない。

 ◆児童ポルノ 18歳未満の児童を性的に描いた画像で、児童買春・児童ポルノ禁止法では製造や販売などが禁止されている。しかし、個人がパソコンなどを通じて入手する単純所持は禁じられていない。また、アニメや、コンピューターグラフィックスを使ったゲームなどのバーチャル(仮想的)なポルノは製造販売も禁止されていない。日本の規制の強化を求める声が上がっている。

(2009年5月8日03時02分 読売新聞)

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はてなブックマーク - 日本製「性暴力ゲーム」欧米で販売中止、人権団体が抗議活動 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

https://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/national/news/20090507-OYT1T01111.htm

白人が黒人を殺しまくるためのゲームは、白人が黒人を殺すという実際の犯罪を抑制しているすばらしいゲームで2次元ものだから、どうでもいいとか言うのか。そういうゲームには、国際的な厳しい人種差別批判にさらされる。南アフリカなどでそういうゲームがあれば、政府に働きかけてでも規制させるように動く国際世論が出てくるだろう。白人が黒人を殺すゲームは、白人のストレス発散になるからとか、そういう軽い問題ではない。

反対派の代表の藤本由香里は、日常的な仕事上でもよくある女性差別を厳しく批判している。そうであるなら、藤本由香里の理論の延長にあるのは、極端な女性差別や極端なレイシズムや極端な排外主義の2次元ものは、特に厳しく批判して規制することも視野に入れないといけないということだ

藤本由香里の批評に全幅の信頼を置いている者ならともかく、『私の居場所はどこにあるの?』の漫画の女性差別批評に賛同する先には、極端な女性差別があるものに対しては何らかの規制をしないといけないということにつながる。

批評と法規制は別ではなく、ポルノ規制は女性差別の批評が都合よく使われてきたということを認識するべきだ。藤本由香里の思惑がどうであれ、規制する者たちには関係ない。その作者の思想の束縛から離れていく。フェミニストの女性差別の主張を都合よく使ってきたのが、ポルノ規制の歴史なのだから。

結局、藤本由香里は規制派に好都合な種を撒いてきた。しかも、その藤本由香里が規制反対派の代表であるのだから、批判しているのだが。ただの1人のフェミニストが言っているのではなく、「東京都青少年健全育成条例改正を考える会」の共同代表の明治大学の準教授である藤本由香里が言っているのだから。

追加のメモ

環境型セクハラとの兼ね合いは、どうなるのだろうか。セクハラ規制強化の問題ある主張とは闘わないといけなくなる。

ポルノ・買春問題研究会が、声明を出している。なぜか、ポルノ・買春問題研究会も白人と黒人のゲームの例を出して、もっと規制するべきという方向性になっている。白人と黒人のゲームの例は、ポルノ・買春問題研究会のような強硬な規制賛成派にも好都合のようだ。ポルノ・買春問題研究会は、表現規制だけでなく、成人の売買春規制の強化など成人の性にまで強硬に規制しようとする会なので、その大半の主張には賛同できない。

ポルノ・買春問題研究会 - 東京都青少年健全育成条例改正案をどう見るべきか?

https://www.app-jp.org/modules/about/index.php?content_id=16

はてなブックマークでの的確な要約の「無意識のうちに相手側の土俵に乗ってしまうリスクを背負うという事か、「批評」する事が」という視点で考えないと、いつまでも規制議論の繰り返しになる。

はてなブックマーク - 2次元児童ポルノ規制派は私達の土俵に乗ってくれると思い込む素朴な反対派

https://b.hatena.ne.jp/entry/www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/kisei/

katomem 東京都青少年条例問題, 「性表現規制」問題, 「表現の自由」論争, だいたいあってる 「批評と法規制は別ではなく、ポルノ規制は女性差別の批評が都合よく使われてきたということを認識するべきだ。」要するに無意識のうちに相手側の土俵に乗ってしまうリスクを背負うという事か、「批評」する事が。 2010/12/11

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2010年12月掲載


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