"保育園落ちた。日本死ね"が死ねの理由
「保育園落ちた。日本死ね」という匿名ブログが、無理やり拡散されている。これは、はてな匿名ダイアリーで、はてなブックマークのホットエントリになったわけだが、世間一般の意見ではない。ホットエントリーになったから世間の意見となると、遥かに視聴者数が多いテレビの3%くらいの視聴率番組でも世間一般に浸透したとなってしまうが、そんなことはない。このサイトでもホットエントリになった記事があるが、はっきり言えば、はてブのホットエントリは大した影響力などない。ホットエントリになったから、世間の注目を集めたと有頂天になっているのは、阿呆である。
テレビで何度も繰り返し報道されたから大きな話題になっているだけで、ネットではこれ以上に拡散されていることでも、テレビではこれほど話題にならないことばかりである。
「保育園落ちた。日本死ね」に書いてあることが、いかに馬鹿げているかを言われていない違った観点から批判する。そもそも、保育園を落ちる制度にしてある日本と言っていることが間違いだ。日本で待機児童問題が特にひどいのは東京の都内23区であって、逆に、島根県では東京のような問題はない。つまり、日本を批判しているようでいて、日本を批判してない。日本の各地域の違いを考えずに、私が考えるところが日本中心と言っているのだ。
これが非常に問題なのは、日本でも方言を使う日本人を矯正してきたことなどの歴史などを持つことからも分かる。標準語とは違って訛っているからと地方の人たちは馬鹿にされて価値が低いと言われてきた。そして、標準語中心の東京の絶対価値を押し付けるのだ。東京の価値観こそが日本ではないのだが、この保育園のことを見ても地方を切り捨てている。渋谷のスクランブル交差点は日本人に馴染みがあるのは当然とか言っているメディアもあるが、そこに行かないで死んでいった地方の日本人のほうが多数である。
若者の車離れとか言っているメディアも馬鹿げたことで、地方では車が必須なのに、日本の若者が車離れしているのは、特に都内を見れば当たり前だとなるわけだ。保育園落ちたと言って何が一億総活躍だと言っているが、それは、このはてな匿名のブログ主のことだ。一億総活躍というのなら、地方を切り捨てるな。島根を見ても、子育て環境は、都内などとは相当に違う。問題なのは、大都市に人口が集中することであるという指摘を全くせず、地方は日本ではないと切り捨てていることにつながっている。
一億総活躍と本当に言うのなら、地方にも十分に目を向けろ。そして、女性なら貧困層の母親の子育てはどうだ。この匿名ブログ主は、貧困層の母親のことなど考えてないだろう。どうせ、また、平均収入くらいある日本では恵まれた私のくせして、日本でこれだけ苦労していると言って、貧困層の母親など本当に大変な女性を分断して、女女格差を放置する多数派の女だろう。貧困層への優先を完全になくして、その枠を私によこせと?一億総活躍なら、障害者のことも考えるのが当たり前だ。しかし、そんなことを考えると、保育園に落ちてものすごく苦労している私という「被抑圧層」としての私が演出できないから、より大変な層は無視する。
(そもそも、保育園落ちたと言ってるが、障害児保育の問題を考えれば、健常児の保育は何と呑気なことだろう)
白人女性が女性差別を言う時に、有色人種を全く無視してきたこととも重なる。結局、「保育園落ちた。日本死ね」というこういう偏狭な思考からしか日本を考えず、私が住んでいるところこそ日本であると言って、地方を切り捨てることが、待機児童の問題を複雑にして、さらには、女性間格差を放置することになることに気付いていない。日本という国は、特に東京のような都市だけで成立しているわけではない。日本全体のことを考えられない者が一億総活躍社会を批判して、日本死ねというなど、そんなこと言うのが世の中からいなくなってはどうか。
本当に死ねと言いたいのは、東京一極集中で地方から人口がどんどん減少して、地方では保育園が廃園になってる地方の声だ。地方こそ、東京一極集中死ねという声を叫びたいのに、これこそがタブー視され、声が届かない。
反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。
2016年2月掲載
《追記》
やはり、その後に分かったことは、このはてな匿名ダイアリーの投稿主は、都内の30代前半の女性であった。
「保育園落ちた東京一極集中死ね」というのが正しいのに、それを言えないのは、都内に生まれ育つと都内こそが日本だと思い込み、そして、地方分散にすると都内の便利さがなくなる利権を手放したくないと。人口密集地帯の都内23区で保育園落ちた落ちたとなるのは、至極当然で、改善するのなら東京一極集中の是正を言え。
都内の便利さは失いたくないが、保育園をどんどん作れとか、人口過密だから待機児童になるという基本すら考えていない。保育園落ちたのは日本国民の私たちだという異様な全体主義は、都内のような保育園問題がない地方を完全に無視しているし、同じ日本だとは思っていないのではないのか?
地方が、中央とされる都内から見捨てられている現状を見ても、日本の母親たちよ一緒に立ち上がりましょうですか?正社員が非正規社員のことを無視して、労働者の団結をといった間抜けさとも通じる。保育園が廃園になっても待機児童が0な地方があるのに、そんな地方は無視して、保育園をどんどん作るのが日本の母親のためになるなど、母親間の分断もすさまじい。そして、日本に住んでいながら、日本のことに恐ろしく無知である。
この都内30代女性の投稿には、地方の観点が全くないので、地方蔑視者の地方差別者と言われても仕方ない。都内23区内の保育事情と地方の事情の違いが全く分からず、地方の存在を抹消しながら「1億総活躍できない私」と言っているなど、自分が1億総活躍を阻害して地方の存在を消していることに全く気付いていない。
都内に生まれた育ったことで、自分が地方人とは違って有能であると勘違いしているのがいる。都内への拠点の集中は国がしてきたのだから、御国様がしてきたことに口をぽかーんと空けて待っているだけで、便利な生活が享受できているのが都内生まれである。国におんぶに抱っこで来たのが都内なのに、自らが自助努力してきた結果なのに地方に富が吸い取られていると思い込むのは、都内発展の歴史を知らないだけである。
(今の山口や鹿児島や高知などから有能な人材が出てきていることなども考えないのか)
都内人が本当に自助努力でやるって言うのなら、今まで国が都内に拠点を集中させてきたことを全て返還してから言え。そもそも、霞ヶ関が官公庁の代名詞になっているのも、国の政策であることすら分からないのか。国が都内を発展させてきたから、都内が便利になって経済発展してきただけのことである。
都内こそ、国がしてきた投資への依存をいい加減すっぱり断ち切って、都内利権を手放して、省庁や大学などの地方移転に協力するべきだろう。都内が実力で稼いでいると思っているのは、国による存分な投資に高度に依存した結果であって、自助努力でもなんでもない。
天皇陛下が京都に帰ることにもなれば、東京一極集中はかなり変わるだろう。
母親の子育てのベビーカーの問題も、都内と地方での違いを無視している。
「単に、短期的効果と長期的効果を一緒に語ればいいのに、短期的効果だけしか語らず、それで母親たちは苦しんでるとか言ってるから批判されてるんですよ。経済問題にしても同じ。マクロ視点で語れず、私のところだけ大変と言うと、日本全体の経済は沈下するだけです」