既存左翼のジェンダー観の限界
タカマサのきまぐれ時評2 被害者意識によってフェミニズム思潮を「誤読」し、差別を合理化しようとする精神の貧困
https://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-723.html
原名高正と名乗る人が、ものすごい藁人形叩きをしてきた。言っていないことを想像で膨らませ、妄想した文章で批判したつもりになっている。
プロフィールに日本版ポリティカルコンパスの位置がリベラル左派とあるが、既存左翼の腐臭がするジェンダー観がありありと見て取れる。リンクによくこれだけ集めたなというくらいにずらっとブログやサイトが並んでいるが、自エンドに参加している人たちのブログも複数ある。自民党TBPの人たちは、こんな藁人形叩きをする原名高正と同じ論調をしていただろうか。
短い100文字以内くらいで変なことを言ってくる者たちはいるが、ある程度の文章量でこれだけの藁人形叩きは珍しい。反論する価値もない文章で何が変かを自分で気付いてほしいものだが、ブログ運営者やサイト運営者の人たちも藁人形叩きをされることもあるだろうから、そのための何かの参考になればと思って書いた。
まず、原名高正は著作権に全くの無知だ。男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由の文章を全て無断転載している。引用文も色を変えているだけのところを見ても、論文の書き方も全く分からない者なのだろう。引用タグを使わないのならば、せめて引用の文章は「」でくくるのが当たり前だ。
無断転載をしている記事へのリンクもしないで、グーグルにリンクをしているだけだ。おまけに、このサイトに書いた文章なのに、ブログ記事と言っている。こういう変な者に絡まれると面倒なのだが、人の書いた文章を全て無断転載をするのが問題であるという認識もないのか。全文ではなく、著作権に問題がない範囲で引用することも分からないのか。
原名高正が批判したつもりになっている男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由から導き出されるのは、「男らしさが問題で自殺率の男女格差に開きが出たと言って、統計を無視してジェンダーに矮小化するのではなく、金融危機時における自殺率問題などを複合的に検討する必要がある」などのことだ。
だが、原名高正は以下のように、全くの見当違いな妄想をして藁人形叩きをしている。
https://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-723.html
かりに かれ(ら)の主張どおり、フェミニズムやら女性の「社会進出 」やらが、男性をおいつめて自殺に余計おいやるというなら
「男らしさの規範が弱まった」時空)が、「男女の自殺率格差」の大問題を呈しているような論理
男女の自殺率格差がフェミニズムなどにより近年急拡大しているという事実認識こそ、ユガんでいる
「男女の自殺率格差がフェミニストの暗躍によって進行中である」といった被害妄想がもたらされたのだと、推定できる。
もう一度言うと、「男らしさが問題で自殺率の男女格差に開きが出たと言って、統計を無視してジェンダーに矮小化するのではなく、金融危機時における自殺率問題などを複合的に検討する必要がある」と言っているので、原名高正の言っていることは見当違いもいいところで、願望が先にあってそれに自分の妄想を当てはめているだけだ。
統計を見れば、青少年による殺人率は戦後一貫して減少してきた。殺人の検挙率も特に下がったわけではない。男女の自殺率格差は、統計を見れば現代のほうが拡大している。男女の自殺率格差問題で男らしさのジェンダーに矮小化する者は統計を無視して語っている点で、統計を無視して青少年犯罪は凶悪化したと言っている者たちと同類である。
1955年だけの31.5を取り上げて論理を捻じ曲げているが、題名から分かるように自殺率の男女格差問題を取り上げているのであって、現代のほうが拡大しているのは統計を見ればすぐに分かる。
原名高正がこのような藁人形叩きで妄想をするものだから、コメント欄にも変な意見が出ている。男性差別のことを言っているのではないし、人命問題を考えることが非モテであるわけがなく、弱者男性論であるわけもない。私自身は男性差別の議論には懐疑的だが、原名高正のような者はこれを聞くと驚くのだろうか。
男女共同参画社会基本法の第三条やさらには憲法も考えると、人命問題を考えるのは当たり前だが、それを藁人形叩きして、男性差別論とか非モテ論とか弱者男性論とかで噴き上がって妄想する者たちが「リベラル左派」であるのなら、そんな左派は必要ない。
原名高正が何度も言っている「フェミニストの主流部」とは、一体何なのだろうか。ジェンダーの文献は50冊以上は手元にある(原名高正のようにfc2ブログで手軽に書き散らすのではなく、独自ドメインを取って書いているのだから)が、原名高正の既存左翼の腐臭がするジェンダー観では、「フェミニストの主流部」なる妄想をするのが限界なのだろう。
ジェンダーフリーは多様性を尊重しないを信仰と言っていることからも、原名高正の既存左翼さが分かる。そこで言っているのは、ジェンダーチェックの2択は多様性を尊重せずに、そのジェンダーチェックはジェンダーフリーに基づいているのだから、ジェンダーフリーは多様性を尊重しないということだ。ジェンダーチェックは、2択の点数制にしているものまである(例えば、連合)。
原名高正は『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』(双風舎)、『「ジェンダー」の危機を超える!―徹底討論!バックラッシュ』(青弓社)、日本女性学会ジェンダー研究会『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(明石書店)、『ジェンダー・フリー・トラブル』(白澤社)のような文献を全く読んでいないのだろうから、ジェンダーフリーがフェミニストたちからも批判が出ていることを全く分からないのだろう。この4冊が刊行されるよりも以前に、フェミニストがジェンダーフリーを批判している。
女のセクハラ加害:女の高身長欲望 連続するセクハラ女の性は、ものすごく短く言うと、藤本由香里の『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』に、少女漫画の男の高身長描写の指摘も批判も一切ないことを書いたものだが、何が何やらさっぱり分かってないのだろう。
男たちの被害者意識と何度も言っているが、女のセクハラ加害:女の高身長欲望 連続するセクハラ女の性で問題にしているのは、女たちのセクハラ加害性だ。女の加害性で言うと女の戦争責任の問題があるが、既存左翼が考える女の戦争責任問題は限界があるどころか、平然とジェンダー修正主義を主張している。
他にも変なことを言っているが、既存左翼の腐臭が漂う原名高正のような者に言っても、どれほど意味があるのかが分からない。
2009年4月掲載