女性器切除(FGM)
毎年2月6日は、“International Day of Zero Tolerance for Female Genital Mutilation, 6 February”で、国際女性性器切除(FGM/C)根絶の日になっている。毎年この時期になると、FGMに対する根絶の報道が日本でもされているが、この報道があまりにFGMに関わる複雑な問題を報じずに、女性差別だからFGMを廃止しようという単純明快なものになっていることばかりなので、FGMにはどういった複雑な問題があるのかを書いている。
女性器切除(FGM)は、フェミニストたちの女性差別の主張の化けの皮が剥がれる代表的な問題である。まず、女性器切除はイスラム教に基づいているという間違いは簡単に正せる。女性器切除をしている代表国の一つに、エチオピアがある。エチオピアは、エチオピア正教会という独自のキリスト教があって、キリスト教が全体の多数を占める国である。イスラム教が多数の国の中で女性器切除が行われているから女性器切除はイスラム教に基づいていると強弁するなら、エチオピアを見れば、女性器切除はキリスト教に基づいていると強弁することもできる。エチオピアでは、キリスト教徒も女性器切除をしている。
エチオピアは、隣国のソマリアがイスラム原理主義のイスラム法定会議が伸張するのを見て、イスラム原理主義がエチオピアにも影響を与えるのを深刻に見て、2006年にソマリアに侵攻した国である。イスラム原理主義から自国のキリスト教を守るためにも、イスラム原理主義国と2006年から戦争をした国が、女性器切除が行われている代表国の一つなのである。女性器切除はイスラム教に基づいているのではなく、行われているアフリカの国の中の地域の風習である(そもそも、女性器切除は、イスラム教やキリスト教が成立する以前からある)。
このアフリカというところに、また根深い問題がある。このアフリカで行われている女性器切除に女性差別だからやめろと激しく言ってきたのは、白人の女性たちだ。その白人の女性たちは、女性器切除は女性差別と言いながら、別のことも言ってきた。アフリカの国々が野蛮で、白人圏の文明国から来た私たち女の中の指導層の白人の女たちこそが、劣ったアフリカの女たちを指導する必要があるとの姿勢で挑んできたのである。
女性器切除を激しく批判してきた白人の女たちは、イスラム教も野蛮な宗教だと攻撃してきた。コーランには女性器切除をしろとは書いていないのに、コーランも全く読まずに、無知なことを言ってきたのが女性器切除の廃止を言ってきた白人女性である。女性器切除を批判してきた白人女性の姿は、女性差別という盾を持って、レイシズムとイスラム蔑視を行ってきたのだ。女性差別の主張の前には、人種差別もイスラム叩きも正当化するのである。
ここで問題なのが、普段は、レイシズム批判をしている同一人物が、女性器切除ではどういう行動に出るかだ。人種差別などの差別の問題は、権力側からの歴史的な差別への批判をするのが原則である。白人が黒人から「人種差別」されているなどと喚きたてることではない。文明国と自認している権力側の白人から、非文明国といわれる人たちに対する人種差別は、普段からレイシズム批判している人たちが批判しないと全く一貫性がない。
しかし、女性器切除の前には、女性差別という大量の言説の前に、人種差別であるという批判をすっかり忘れてしまうなんちゃってレイシズム批判がほとんどである。それだけ、女性差別批判は絶対正義で、その正義の前には、人種差別が正当化されることは絶対に忘れてはならない。そして、イスラム蔑視である。イスラム教に基づいている女性器切除という間違いが「真実」になり、イスラムフォビアが拡散されていく。これは、白人キリスト教国家にとっては、非常に都合がいい。
女性器切除を激しく批判してきた白人フェミニストたちは、白人キリスト教国家を強固に擁護する偏狭なナショナリストであって、偏狭なレイシストであることが非常に多い。フェミニズムと偏狭なナショナリズム・レイシズムには親和性があることのあらわれである。Femenという白人フェミニストの女性たちがトップレスになって、そこにMuslim, Let's get naked!と書いて抗議デモをしていることなどを見ても、イスラムの女性に対する蔑視を白人女性がしているのである。
ただし、もちろん、女性器切除は問題である。しかし、そこに、女性差別を前面に出すと、鈍感すぎる白人女性たちの暴力が必ず問題になって宗教対立による齟齬が起きる。女性器切除は衛生面で非常に問題なので、この衛生面からの批判を重視してしていくべきだ。そして、もちろん、女性器切除が行われている地域の女性の中でも、女性器切除を批判してきた女性たちがいる。こういう女性たちがいるのに、白人女性の暴力によって、現地の女性たちに民族意識を覚醒させて対立を起こしてきたのだ。
現地の女性たちが女性器切除をやめさせるため、コーランには女性器切除をするようにとは書いていないと訴えてきたことは非常に重要なことだし、実際に、イスラム法学者も女性器切除を批判している。やはり、重要なのは、現地の女性たちもそこで生まれ育ったのだから、そこに愛着があるので、それに寄り添ってから、女性器切除を批判していくことが何よりも大切なことだ。そして、白人キリスト教圏の偏狭な見方も批判することも重要だ。
女性器切除がイスラム教に基づいていてコーランに書いているなどは間違いであるが、キリスト教に基づいて行われてきたことがある。その中に、キリスト教を過度に信じすぎたために、中絶をしている産婦人科医を銃殺した事件は、実際に、アメリカで起こっている。これは、キリスト教過激派が起こしたのに、イスラム教圏で起こった時とは反応が違う。イスラム教過激派が起こした事件は、延々と報道してイスラム教批判をするのに、キリスト教過激派に対する批判はそれとは逆である。
これは、白人キリスト教圏の通信社が、キリスト教への批判を抑える心理が配信に出てくるからだ。女性器切除には、このような複雑な問題が絡んでいるのに、単純に、女性差別だからFGMを廃止せよばかりが毎年の2月6日付近で報道する底の浅さは、現代の差別問題の複合性を無視したものである。女性器切除が言われてきた時には、文明国が野蛮な非文明国を指導する立場は絶対であるという間違った言説を強化して、白人キリスト教圏の暴力を覆い隠す方便として機能させてきたことは絶対に忘れてはならない。
※女性器切除とは言わずに、女子割礼と言うこともある。
反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。
2016年2月掲載