フェミサイドと日本

「日本は女性のほうが多く殺されているので、女性殺しのフェミサイドの国である」とすることの間違いについて。

WikipediaのHomicide statistics by gender を見ると、2012年の日本の殺人は442件で10万人あたりの殺人率は0.3、男性の被害者の割合が47.1%で208件、女性の被害者の割合は52.9%で234件になっている。確かに、女性の殺人被害のほうが少しだけ多い。

2012年のメキシコの殺人を見てみると、26,037件の殺人が起きていて10万人あたりの殺人率は21.5、男性の被害者の割合が89.3%で23,251件、女性の被害者の割合が10.7%で2,786件になっている。メキシコは女性の殺人被害が1割くらいだ。

この日本とメキシコの比較を見て、日本では女性の殺人被害が5割を超えて、メキシコでは1割くらいなので、日本のほうがフェミサイドの女性殺しの国で、メキシコのほうが女性に安全だと言うのだろうか。

性別での殺人率で比較すると、さらに分かることがある。メキシコの男性の殺人被害の10万人あたりの割合は19.2%で、女性は2.3%。日本の男性の殺人被害の10万人あたりの割合は0.1%で、女性は0.2%だ。メキシコのほうが、日本よりも、女性の10万人あたりの殺人率が11.5倍も高い。2倍や3倍でも多いのに、10倍を超えているのだ。

メキシコでの女性の殺人被害の多さは、日本の2012年の234件の女性の殺人に11.5を掛けると2691人にもなることでも分かる。2012年の日本の殺人の総数が442件なので、メキシコではたった1年で日本の1年間の殺人総数の6倍を超える数の女性が殺されている。日本の人口当たりの女性の殺人被害率は、世界でも最も低い部類に入る。

日本とメキシコの殺人の男女比の偏りは、どういう傾向があるのだろうか。河合幹雄『日本の殺人』(ちくま新書)に、日本の殺人の傾向が色々と書かれている。

河合幹雄『日本の殺人』の218頁

実際の殺人事件の被害者は、まず、加害者の実子であり配偶者であり、親である。それらで過半数である。なんと遺族とは加害者自身なのである。メディアで論じられる議論は、大多数の殺人事件を無視しているわけである。

『日本の殺人』には、17頁にも「殺人事件のうち、半分近くが、親族による犯行」とあり、他にも、「日本の殺人事件は、まず家族を主題としている事件がほとんど」、「殺人の既遂事件に絞れば、親族間が過半数を超える」、「家族間の殺人が大半を占める」、「殺人事件を見てみると、日本では家族が犯人であることが大半」、「殺人は、何よりも家庭内の事件」などど、書かれている。

河合幹雄『日本の殺人』を読むと、日本では、殺人と言えば、親族間で過半数を超えることが繰り返し書かれている。これが、日本のような世界的に見ても殺人率が非常に低い国と、メキシコのように世界的にも非常に殺人率が高い国との大きな違いである。

メキシコでは、なぜ、男性の殺人被害が9割くらいなのかと言えば、それは、非常に治安が悪くて抗争での殺し合いで多くの男たちが死ぬからだ。だから、男性の殺人被害が9割くらいで、女性の殺人被害が1割くらいであっても、もともとの殺人率が高い国なので、女性殺しの比率でみると、日本の11.5倍にもなるのだ。

日本のように平和な国になると、抗争殺しで男たちが死ななくなる。抗争殺しが起きなくなるからだ。そして、最終的に、殺人事件と言えば、家庭が最後まで残る。だから、平和な国では、家庭内での殺人が過半数を超えるようになる。

そして、家庭内での殺人事件が最後まで残ると、腕力と体力に劣る女性の死者数のほうが少しだけ増えている。日本が女性のほうが死んでいるフェミサイドの国であると言うのならば、9:1で、圧倒的に男たちがのほうが死に、女たちは1割しか死なないメキシコのような国になることを望んでいるのだろうか。

日本をフェミサイドの国というのは、統計を確かめて国際比較ができないと自ら告白していることで、「フェミサイドの国・日本」というのはデマと言ってもいいだろう。実際には、男性が抗争殺しで多く死ぬ国は、女性の殺人被害の割合が1割程度でも、比率でみると、日本より圧倒的に女性殺しが酷い国である。

日本の戦後の殺人対策は、検挙率も非常に高く推移して、非常にうまくいって、戦後の統計を見ると激減していることは以前から言われている。日本では、1984年(昭和59年)から1989年(平成元年)に起きた史上最悪の暴力団抗争とも言われる山一抗争でも、30人も死んでいない。メキシコの抗争殺しの規模は、日本の史上最悪の山一抗争より遥かに大きく、被害者数も桁違いになっている。

単純な比率でフェミサイドと言うのなら、2010年の統計を見ると、ニュージーランドも女性のほうが殺されている。ニュージーランドも、フェミサイドの国なのだろうか。

ブラジルは新型コロナの時期に、殺人事件が増加して、10分に1人が殺される状況になった。ブラジルでは、日本の約100倍の確率で殺人事件の犠牲になると報道がされていた。そんなブラジルも、WikipediaのHomicide statistics by genderの2010年の統計では、女性の殺人被害が1割くらいである。

その2010年の統計では、ブラジルの女性の10万人当たりの殺人の死亡率は2.6%で、日本よりも13倍も女性殺しが酷い。このブラジルも、麻薬の犯罪組織の抗争で多くの男たちが殺され、治安が日本よりも非常に悪く、それに伴って、女性殺しが日本よりも13倍になっている。ブラジルを見ても、単純な男女の殺人の割合では、女性殺しの酷さは分からない。

河合幹雄『日本の殺人』の25頁には、以下の、フェミサイドの俗説が崩れることも書いてある。

 別の要因として注目したいのは、「間引き」といえば単なる経済事情にとどまらずお家の跡取りがほしいという文化から考えて男の子しかいらないから女の子が「間引かれ」ているのではないか、という仮説である。この仮説は、確認すると、見事に誤りである。七〇年代も八〇年代も九〇年代も、常に男の子の被害者数が女の子の被害者数をはっきりと上回っている。

差別に関する殺人事件で、日本で酷いのはフェミサイドの女性殺しではない。日本で最も酷い差別の殺人は、障害者殺しである。2016年(平成28年)7月26日に起きた相模原障害者施設殺傷事件は19人も殺されて、戦後最悪の大量殺人事件だった。この実際に起きた障害者殺しの酷さを無視して、統計を見ると誤っている「日本は国際的に見てもフェミサイドの国」などと言って女性殺しを強調するのは、まるで、女性差別を言うことで障害者差別を隠蔽する意図でもあるかのようだ。

相模原障害者施設殺傷事件の原因と予防

『日本の殺人』の63頁にも、刑務所と障害者のことが書いていて、192頁にも窃盗の累犯者での障害者の記述がある。山本譲司『累犯障害者』(新潮文庫)を読むと、この世の中は障害者にこそ支援がされず、そのために障害者が犯罪をせざるを得ない実状がある。障害者は刑務所に入らないと生活ができないので、刑務所に行く。まるで、刑務所が障害者収容施設であるようだ。

女児が中絶されていることを女性差別と激しく批判して女性殺しと言うのに、出生前診断で障害児と分かると、当然に障害児を中絶し、障害者殺しが女児中絶のように批判されない。大量の障害児中絶で、障害児を標的にした中絶でも障害者差別ではなく正当化され、障害者殺しは問題にもされない。この世の中が健常者至上主義であり、障害者殺しこそが批判されないのに、統計を見ると間違っている女性殺しを言っているのだ。

障害者殺しの酷さを考えると、本来は、障害者殺しこそ、フェミサイドのような特別な名称が必要だ。障害者殺しは問題にする価値もないから名付けなど必要ないのだろうか。障害者殺しをやめろと何度もデモが起きてもいい。障害者殺しへの批判を押さえつけてフェミサイドと言うなど、健常者至上主義を引きずったフェミニストの戯言だ。出生前診断の障害児を標的にした障害者殺しはやめろと言われたら、素直に聞くのだろうか。

単純に性別での殺人率を問題にするのならば、子供を殺しているのは実母が最も多い。女たちが子殺しの最たる主犯である。育児で理想とする北欧でも母親が子殺しをしている。どれだけ育児負担への支援をしても、必ず、一定数は子殺しする母親がいる。この支援をしても関係なく子殺しする母親たちの問題は、どう考えるのか。

日本で深刻なことに、風呂場での死亡がある。風呂場では年間に約1万9000人ほどが死んでいると言われている。高齢化社会になるほどに、この問題が大きくなる。毎年、のどを詰まらせて死んだり、家のなかで転倒や転落で死ぬことも後を絶たない。日本での実際の死亡事故は、特に、高齢者の風呂場での死亡などを見ても、高齢者対策のほうがフェミサイドなどという統計の誤魔化しよりも圧倒的に重要だ。

河合幹雄『日本の殺人』の241頁から242頁に、以下の記述がある。現在では自殺者数が2003年よりもかなり減少しているが、大枠の傾向は今にも当てはまる記述だ。

 外因による死者数は、二〇〇三年、日本全国で七万五六三八人であった。そのなかで、大きなカテゴリーは、「不慮の事故」「自殺」「他殺」である。交通事故を含めた「不慮の事故」は、三万八〇〇〇人、「自殺」は三万二〇〇〇人もある一方、他殺は七〇五人である。他殺とは、ほぼ警察庁統計の殺人と強盗殺人の被害者数である。この七〇五人のうち、凶悪な事件は少数であることは、見てきた通りである。なお、死刑は一人、戦死はゼロであった。
 死に方云々よりも、人の命を守ることこそ大切という観点からは、殺人事件は重要なカテゴリーではないとまで言いたいほど少数である。家庭内の事故は、おそらく、一人暮らしの高齢者の存在との関連が深く、この方面での対策こそ重要と思われる。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2020年10月掲載



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