評価されないパラリンピック

ロンドンパラリンピックが、2012年8月29日から開催される予定になっている。女子サッカーがワールドカップで優勝したことで、実力が正当に評価されないことや、女子サッカーの環境の問題などが言われている。しかし、それを言うのならば、考えて見れば当然のことだが、健常者の女性よりも、遥かに実力が評価されず環境面でも整備されてこなかったのが、障害者たちだ。

2010年2月12日から開催されたバンクーバーオリンピックでは、日本選手は金メダルが1つも取れなかった。銀メダルが3つ、銅メダルが2つの計5つのメダルの獲得に終わった。2010年3月12日から開催されたバンクーバーパラリンピックでは、日本選手は、金メダルを3つも取った。銀メダルが3つと銅メダルが5つの計11個のメダルを獲得した。

オリンピックよりもパラリンピックのほうが、メダル獲得数が2倍以上も多い結果になった。だが、オリンピックに比べてパラリンピックは、全く注目されない状況が続いている。女子サッカーと男子サッカーを比べて、競技人口など何も考えないで女子サッカーのほうが優秀だという意見で覆われているが、金メダルを1つも取れない健常者は、障害者よりも劣っているという意見が出てきただろうか。

「男女で金メダルの価値に差はない」「メダルの価値は同じ」などと言いながら、「健常者と障害者でメダルの価値に差はない」ということは言われない。障害者が金メダルを獲得しても、評価されない。

女子サッカーの時には中学生の男子にも負けるくせにというのは禁句でも、障害者のパラリンピック選手には健常者に全く勝てないんだから偉そうに言うなとでも言うのだろうか。障害者の時にだけ、そのような勝敗を都合よく取り出すことはできない。

男子サッカーと女子サッカーを比べて、「筋力が女子のほうが劣る分、技術が求められるから女子のほうが面白い」という意見がある。これも、障害者を無視した意見だ。健常者の女性よりも、障害者のほうがさらに筋力が劣る者が多い。

筋力が劣る分、技術力がいるから面白いというのなら、障害者スポーツをなおさら熱心に見ないとおかしい。ここで障害者スポーツを全く無視して筋力と技術のことを言っていると、実はそんなことはどうでもよく、ただ単に健常者の女子スポーツが見たいだけの健常者至上主義者であることの化けの皮が見事に剥がれることになる。

健常者の男女では、女性のほうが待遇が悪いと言い続けることができる。しかし、そこに障害者が入ると、健常者の女性よりも、もっと遥かに待遇が悪い状況がある。健常者の女性も、障害者に格差を付けてきた張本人であることの反省も求められるようになる。女性であることで「差別」されたと思っていたことが、実は、健常者の女性たちも障害者を差別してきた側であることが刻印されるようになる。

『週刊朝日』では、北原みのりが、飛行機の座席クラスの違いで「男女平等に関するセンスがない」と言ったり、男女で区別をつけるなと言っている。山下柚実は『ポストセブン』で、男女格差を言って「関塚ジャパンはなでしこにビジネス席譲るべき」などと言っている。

この北原みのりや山下柚実は、健常者至上主義がありありと表れている。もっと問題なのは「健障平等に関するセンス」がなく、健常者と障害者を区別していること。山下柚実がそれを言えても、「金メダルを全く取れない健常者は、障害者にビジネス席を譲るべき」という声は全く出てこない。

障害者問題を出すと、北原みのりや山下柚実の意見よりも先に、障害者のことを優先しないといけなくなる。結局、北原みのりや、山下柚実のような健常者の女性にとって、自らの主張が通らなくなるので、障害者は邪魔になる存在である。

サッカーのことで言われていることは、まさに障害者のことに当てはまるのに、なぜ、これほどまでに障害者が無視されるのか。「頂点に立ってから言え」「メダルを取ってから言え」というのは、障害者に関しては全く言われない。それをバンクーバーで金メダルを3つも取った障害者の現実を見て、取れなかった健常者に向かって言ったら、どう思うだろうか?

「金メダルも取れない健常者の女が障害者に向かって偉そうに言うな」と言われたら、普段は男女格差を言っている者たちが、「障害者のくせに偉そうに」とか本気で言い出しそうな雰囲気だ。男女格差とか人権とか言っている者たちが、障害者問題での反動になる例は後を絶たないから(平塚らいてうは断種を要求した)。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2012年8月掲載


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