石原慎太郎と男性同性愛

石原慎太郎が同性愛者に対する差別発言をしたことで、問題になっている。それで思ったのは、石原慎太郎のその発言の根底にあるのは、自らに眠っている男性同性愛の心理を呼び起こしたくないために、反発した感情で言ったのではないのかということだ。石原慎太郎は、自らにある男性同性愛の心理に怯えているのではないだろうか。

『週刊女性』(主婦と生活社)の2001年11月6日号で、石原慎太郎は以下のことを言っている。

 僕の一番下の子供で画家なんで、ニューヨークに行ったり来たりして、結婚してないのがいるんだ。そいつが”ニューヨークにいると、ニューヨークの男が結婚しないわけがわかるなぁ。みんなホモになるの、よくわかるよ”っていう。それで、わけを聞いたら、ニューヨークの女でちょっとできるやつは、気のきいた男に会うと、名刺を交換するようにすぐ寝るっていうんだよね。そして、相手を試してダメなら、別れて次を探す。

 また、変にアタマでっかちになってるやつもいて、そういう女に、勝手に男としての肉体的能力を比較されるのはかなわないってのもいる。互いの理解のために自分の本質的なものを感性で伝えるには女に対してよりも男のほうがずっと伝えやすいって、結局男同士で結びついちゃうんだな。レズはそれほどでもないけど、それでもホモが増えちゃった。

 私はね、江戸川乱歩さんに生まれて初めてゲイバーに連れていかれたんだけど、怖くて、気持ち悪くてね。とにかく、気持ち悪いんだよ。その時、そのバーのママが乱歩さんに、”石原さんはダメよ”っていうんだ。乱歩さんは”ダメか、石原君は”だって。乱歩さんは自分の奥さんを連れてきていながら、美少年を膝の上に乗っけてキスなんかしていた。

 あのね、人間には純粋なヘテロってのが20%、純粋なホモってのが20%。あとの60%はリバーシブルで、何かきっかけがあったら両刀使いになっちゃうんだ。三島(由紀夫)さんもそうだし、乱歩さんもそう。ところが、純粋なヘテロと純粋なホモってのは一種の天敵みたいなもんで、敏感に感じ合うんだな。それで、私は幸か不幸か純粋なヘテロだから、ホモセクシャルとは相容れないんですよ。

この記事を読んでも、石原慎太郎が同性愛に理解がないとは言えず、むしろ、石原慎太郎は男性同性愛が身近にあるからこそ、それに自分が巻き込まれることを恐れている。

石原慎太郎は、日本の男色の歴史についてもある程度は理解があるのだろう。三島由紀夫を出しているように、日本では保守派と男性同性愛が接近する歴史がある。三島由紀夫の死は今でも保守派によって語り継がれていて、九段会館であった没後40年目に当たる今年の憂国忌には、九段会館の3階まで多くの人が詰め掛けたようだ。

保守派は武士道をよく語るが、その武士道にも男色がある。日本の歴史を認識している保守派であればあるほど、男性同性愛の歴史を否定することはできない。日本の保守派の主張の大きな特徴の一つに、同性愛への反対をスローガンにしないことがある。それは、間近で言えば、三島由紀夫の否定にも繋がるからだ。日本の保守派は同性愛のために積極的に動くことはないが、無視するか黙認している者が多く、同性愛排除には動かないという特徴がある。

石原慎太郎は、「人間には純粋なヘテロってのが20%、純粋なホモってのが20%。あとの60%はリバーシブルで、何かきっかけがあったら両刀使いになっちゃうんだ」と言っている。この考えは男性同性愛への理解はある程度はあるし、その年齢も考えるとなおさらのことだ。石原慎太郎に同性愛差別をやめろと噴き上がっている連中で、この石原慎太郎のような考えに至る者はどれだけいるのだろうか。

同性愛に反発する発言をする者は、単線的な差別からとは言えないことがある。特に割合から見ても、男性同性愛の問題は、自らにも眠っている、秘匿した性愛の形を揺さぶられることにもつながるからだ。石原慎太郎の発言を単純に差別というのは簡単だが、石原慎太郎は、自らの男性同性愛の心理に気付いているために、それを拒絶する心理が働いたのだろう。

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2010年12月掲載


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