東京大学の上野千鶴子の祝辞

2019年の東京大学の入学式での上野千鶴子の祝辞について。上野千鶴子の文献も読んできた。祝辞に賛同して素晴らしいとか言っている意見は、上野千鶴子が何を言ってきたかと、フェミニズムへの重大な批判を覆い隠していることを完全に無視しているか、そもそも気付いていない。

祝辞の中で、上野千鶴子は「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」と言っている。これが問題なのは、ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』が訴えることにも書いたことだが、フェミニズムは白人の女たちが権利を求めて主張し始めたものだ。

白人の女たちが、「自分は白人なのに、同じ白人の男たちと権利が違うのはおかしい」と思って始まったのがフェミニズムだと言っていい。実際、フェミニズムは人種問題に非常に鈍感で、それがもちろん、黒人女性に批判されてきたが、現在でも人種に鈍感な現象は続いている。

黒人女性がフェミニズムでの人種問題を出すと、女性間の分断をまねくと言って、執拗に攻撃してきたのがフェミニズムだ。白人としての特権に無頓着な白人の女たちが始めたのが、フェミニズムであるという女性史上の厳然たる事実認識は絶対に持つ必要がある。

こういう恵まれた女性たちが先導を切って「女性差別」と騒いで、自らの特権には鈍感なのは現在でもそうなので、フェミニズムが弱者が弱者のままで尊重することなどなく、むしろ、強者理論の新自由主義とも相性がよいこともある。フェミニズムはレイシズムとも接近してきたし、優生思想そのものでもあったし、同性愛嫌悪と接近してきたし、朝鮮蔑視をしてきたし、貧困蔑視もしてきた。

これら汚泥の思想を、女性差別と言うことで覆い隠してきたのがフェミニズムが今まで来た道であるのは、フェミニズムの歴史を調べるほど分かることだ。上野千鶴子は祝辞の中で障害者のことも言っているが、上野千鶴子は『マザコン少年の末路―男と女の未来』で自閉症とマザコンを結び付けていたし、平塚らいてうが断種を支持したことはどう思っているのか。

そもそも、教育の機会均等は障害者にこそ必要なのに、なぜ、障害者より健常者の女性を優遇してきたのか。それは、産めよ増やせよで産む性である健常の女が重要だから障害者教育より重視してきたわけで、障害者のことを本当に考えているのならば、優生思想を振り切った障害者教育のほうこそ重視すべきだが、そうしてこなかった。

フェミニズムは総論では障害者のことは言うが、各論で、それでは、女子教育より障害者教育のほうが差別されてきたから障害者教育のほうこそ重視するという意見には、耳を傾けてこなかった。本来は、教育の機会均等では、女子大学より、障害者大学のほうが必要である。

健常の女子学生が大学に入学できるのは、大学が健常者が大前提の作りになっているからだ。上野千鶴子らフェミニストは、教育の機会均等で女子教育のことばかり言ってきたのに、都合よく障害者のことも弱者として尊重してきたと言ってきた。世の中で酷いのは、健常女性差別ではなく、それより遥かに障害者差別のほうが酷いということには耳を傾けてこなかった。

紙幣になった津田梅子は、「動物の方がこのような汚い朝鮮人よりまし」などと手紙に書いている。上野千鶴子は朝鮮人のことも祝辞で言っているが、女性差別を言ってきた女性たちが、朝鮮人にどんなことを言ってきたと思っているのか。同性愛者のことも言っているのがお笑いだ。上野千鶴子は、男性同性愛者を何度も蔑視して、叩いてきているからだ。

同性愛者のことを祝辞で言った上野千鶴子は、その入学式の場にいた男子学生の中に同性愛者の男性がいたことをどう思っているのか。入学式でなくても、あらゆる場で話す時には、そこに同性愛者の男性がいる可能性があるのに、女性差別だけを語って、男が女を差別してきたで終わりながら、同性愛についてはおまけで語る。

同性愛のことを語るのなら、異性愛女性が男性同性愛者を散々おもちゃのように扱ってきたし、結婚できる異性愛女性より、結婚する権利もない同性愛男性のほうが格下で違法な存在だし、世界保健期間(WHO)が国際疾病分類(ICD)で同性愛の項目を削除したのは、1990年に承認し1992年出版からのことをどう思っているのか。

同性愛者は平成の時点でも、WHOに精神障害だと言われていた。これで、病院で頭に器具をはめられて、自殺した同性愛男性もいるのに、「男子学生」という括りで、女性学生に反省しろと一方的に言うことの暴力性に、上野千鶴子は気付いているのか。

東京大学のことで言えば、努力が報われないのは当たり前だ。財力が関係しているからで、幼稚園の時から受験勉強の準備をして大量に金を投入してきてやっと受かったのは、これは果たして能力なのか。東京大学には、東京に住んでいることが有利になるのも当たり前だ。

東京から全国各地に離れていて、財力にも乏しい男子学生は、東京大学に入学できた女子学生よりも恵まれているのか。財力での機会均等もなく、住んでいる場所による格差も非常に大きいのに、単純に東京大学の女子学生は女性だから差別されてきたなど言いながら、貧困問題を語る愚かさ。

東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、ひかれるから、だそうです。

これに関しては、東京に地方から行ったら「キミ、どこ出身?」と言われて、口をもごもご答えたら田舎とかカッペとか馬鹿にされたという話には無縁か。東京出身で財力があって恵まれた女子大生が、女だから差別されたとか言いながら、何の理解もしていない地方蔑視しているのはよく見る光景。

女性の比率も言っているが、それなら、スウェーデンはどうだ。スウェーデンは女性の政治参画の代表国として挙げられるが、それで起こったのは、富裕層率の高さだ。アメリカよりも、スウェーデンのほうが富裕層の率が高い。スウェーデンは相続税を廃止しているし、生まれながらの特権階級が存在する。

スウェーデンを見ると、女の比率を高めても、自ら女性の差別に関心があることだけに熱心になって、富裕層優遇や経済格差が拡大することには無関心。上野千鶴子を見ても、生まれながらに恵まれた女性がフェミニズムを語り、経済格差の拡大は進んでも女性差別を語って、結局、恵まれた女性がさらに恵まれた状態になるだけだ。

弱者を弱者として尊重するのなら、個別に救済するしかない。責任ある立場に障害者がいない限り、女性を増やしても、結局、障害者より女性差別のほうがと言いだして、障害者が戦後最悪の惨殺事件に合っても、それよりも女性差別のほうがと延々と言うだけだ。

男女の能力に性差がないというが、それを研究している進化心理学を否定してきたのがフェミニズムでもある。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2019年4月掲載



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