ジェンダーフリーに基づいたジェンダーチェックの多様性の問題

「ジェンダーフリーは多様性を尊重して、性的少数者にも配慮した素晴らしいもの」などと言う人たちがいます。そういう人たちは、以下の論考を読んでみてください。ジェンダーチェックによる二択の問題点とジェンダーフリーとの関わりについて載せています。

『ジェンダーセンシティブからジェンダーフリーへ―ジェンダーに敏感な体験学習』(ジェンダーに敏感な学習を考える会)の堀田碧「「3つのフリー」をめざして~ジェンダーのもつれをほどく~」に、すでにジェンダーフリーの問題点の指摘があります。この本は、2001年発行です。ジェンダーフリーを批判してきたフェミニストは、他にもいます。行政フェミニズムという視点を入れてのジェンダーフリー批判などもあります。

ジェンダーフリー批判に、「男女同室着替えはジェンダーフリーに基づいている」というのがあります。これは『世界日報』などが言っていたことで、間違ったジェンダーフリー批判です。ジェンダーフリーが言われる前から、男女同室着替えは行われていたからです。こういう間違ったジェンダーフリー批判と、フェミニストたちによるジェンダーフリー批判は、明確に分けて考えるべきです。

木村涼子『ジェンダー・フリー・トラブル』(白澤社)114頁の注(4)には、以下の記述があります。

「ジェンダー・フリー」の概念は、舘かおるの研究によれば、一九九五年東京女性財団の研究プロジェクトがつくったハンドブック『若い世代の教師のために あなたのクラスはジェンダー・フリー?』から、広まったと言われている。

今までジェンダーフリー関連の文献をかなり読みましたが、ジェンダーフリーは批判されるべきところがかなりあるので、ジェンダーフリーを素朴に安易に信頼するのは間違いです。

『「ジェンダー」の危機を超える!―徹底討論!バックラッシュ』(青弓社)で、上野千鶴子が『「ジェンダー」の危機を超える!』と『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』(双風舎)、日本女性学会ジェンダー研究会『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(明石書店)、木村涼子『ジェンダー・フリー・トラブル』(白澤社) をあげて、「以上に挙げた書物はフェミニズムの現在を示す貴重な歴史的資料」と書いています。

その四冊は全て読んで他のジェンダーフリーの文献も読みましたが、以下のジェンダーフリーに基づいたジェンダーチェックの視点からの批判が乏しいものばかりでした。今までジェンダーフリーの文献を何冊読んでも、ジェンダーチェックの問題点を指摘して、そこから多様性の制限の問題に展開している論文はありませんでした。「このジェンダーフリーの文献はいいよ」というものでも、その問題は載っていませんでした。

ジェンダーフリーに対する反論をしているバックラッシュ派とされる人たちは、ジェンダーフリーが多様性を認めすぎるから反論をしています。しかし、それとは逆で、ここでジェンダーフリーに反論をしているのは、ジェンダーフリーが多様性を認めないからです。


若桑みどり/加藤秀一/皆川満寿美/赤石千衣子『「ジェンダー」の危機を超える!―徹底討論!バックラッシュ』(青弓社)149頁

第5章 丹波雅代「言葉を力に ――市民と行政と学会のはざまで」

3 東京女性財団発行物『ジェンダーチェック』への違和感

 財団は、一九九四年から数々の出版物を出していくが、最初の大ヒットとなったのが、リーフレット『ジェンダーチェック――男女平等への指針:家族・家庭生活編』「年中行事編」「生活場面編」「夫婦・親子編」三部作(一九九五年)だった。初版は四万部と聞くが、何度か版を重ねていたと思う。これらは「ジェンダーフリー」プロジェクトチームの仕事のひとつとして制作されたものだが、その本体骨子の正しさはともかく、このリーフレットを見て、私たち非常勤職員は唖然とした。(太字強調は引用者)

若桑みどり/加藤秀一/皆川満寿美/赤石千衣子『「ジェンダー」の危機を超える!―徹底討論!バックラッシュ』(青弓社)150頁

4 なぜ多くの女性センターや女性行政担当が『ジェンダーチェック』にとびついたのか

 私たちの危惧をよそに、これらのリーフレットは爆発的な評判を呼んだ。いくつもの新聞に報道され、無料ということもあって、全国の女性センターや女性行政担当者、大学関係者らの問い合わせや送付依頼が相次いだ。
 これらの財団発行『ジェンダーチェック』は、一九九六年には『地域・社会生活編』が、九七年には『学校生活編』「小学生編」「中学・高校生編」「教師編」「大人編」、九八年には『職業生活編』「女性・男性編」「管理職・労働組合編」と毎年出され、二〇〇〇年には『学校生活編』と『職業生活編』をまとめた一冊が出されている。さすがに最初の『家族・家庭生活編』で目についた採点だのレッテル評価だのは姿を消したが、全国的に広まったものは、最初のタイプのものが圧倒的だった。
 よく似たジェンダーチェックが、まるで流行物のように、あちこちの女性センターや行政の手で刊行された。
 いったいそれはなぜだったのだろう。(太字強調は引用者)

丹波雅代がここで言っているのは、ジェンダーチェックはジェンダーフリーに基づいているということだ。「「ジェンダーフリー」プロジェクトチームの仕事のひとつとして制作されたもの」だから、ジェンダーフリーに基づいたものがジェンダーチェックだ。さらに、全国的に広まったジェンダーチェックは、最初のタイプの採点だのレッテル評価のものだということだ。

以下のサイトの文章を見ても、実際にジェンダーフリーとジェンダーチェックが関連していることが分かる。

秋田市 - UmだすかUmだども No.6

http://61.11.175.2/city/in/wk/umdasuka/umum06.htm

ジェンダー・チェックをしてみて、あなたのジェンダー・フリー度はいかがでしたか。

連合|男性のためのジェンダーチェック表(男女が働きやすい職場をめざして-セクハラをなくそう)

http://www.jtuc-rengo.or.jp/roudou/kankyou/sekuhara/checksheet.html

7点以下 あなたはジェンダーフリーな考え方を持っています。職場でも家庭でも良い関係が持てていることでしょう。

ジェンダー・フリーの職場づくり(DVD版)

http://shop.nikkeibpm.co.jp/goods_detail.php?goodsIdx=261

■研修担当者用マニュアルには、ドラマ中の問題となりうる事例のシナリオと考えたいポイント、ジェンダー・チェックリスト、統計データなど、研修に活用いただける内容を収録しました。

いやま のぶこのジェンダーチック(静岡県生活・文化部女性政策室作成のジェンダーチェックより)

http://www9.plala.or.jp/iyama/gendercheck.htm

 「女だから」「男だから」と言う思い込みや偏見、甘えを捨てて、ジェンダー・フリーな職場を作るようもう一度見直してみましょう。

ジェンダーチェックの多くは、「はい」「いいえ」や“YES”“NO”の二択で行われている。しかも、二択で点数制にしているものまである。ジェンダーチェックで何を質問するのかは決まっているわけではないので、ジェンダーチェックを実施する者によって違いがある。よくある「男は仕事、女は家庭」という項目を作り、それに関して「はい」か「いいえ」の二択で答えさせるのは多様性の尊重ではない。

  1. 「男は仕事」「女は家庭」
  2. 「男も女も仕事」
  3. 「男は家庭」「女は仕事」
  4. 「男も女も家庭」
  5. 「男も女も仕事も家庭も」
  6. 「女1は仕事」「女2は家庭」
  7. 「女1も女2も仕事」
  8. 「女1は家庭」「女2は仕事」
  9. 「女1も女2も家庭」
  10. 「女1も女2も仕事も家庭も」
  11. 「男1は仕事」「男2は家庭」
  12. 「男1も男2も仕事」
  13. 「男1は家庭」「男2は仕事」
  14. 「男1も男2も家庭」
  15. 「男1も男2も仕事も家庭も」

これら15のような形態の全てを尊重するかどうかを聞くことが多様性の尊重への質問であって、「「男は仕事、女は家庭」は正しいと思うか」などのジェンダーチェックに二択で答えさせるのは多様性の尊重どころか、多様性の制限だ。「男は仕事」「女は家庭」は否定されるものではなく、当然に尊重される形態に含まれるので、二択の質問で「男は仕事」「女は家庭」に肯定したらジェンダーチェックでの点数が低くなるのは、全く多様性の尊重ではない。

「男は仕事」「女は家庭」の二択でジェンダーチェックをし、「女性を家庭に押し込める意識がうかがえる」とか「もっと仕事をする女性を尊重するように」などと言うジェンダーフリー派たちの意識は、強固なホモフォビアでもある。

伏見憲明『欲望問題―人は差別をなくすためだけに生きるのではない 』(ポット出版)の18-19頁に、以下の記述がある。

 これもよく例に出すことですが、ぼくが最初の本の企画を出版社に持ち込んだときには、編集者に「初めて言葉を話すゲイを見た」と言われました。その人はフェミニズム本を担当されていた方で、差別問題や社会運動にセンシティブなタイプだったにもかかわらず、同性愛に関してはそのような認識しかなかったのです。ほとんどの人が、ゲイとホモとかいうと、わかりやすく変態とか、女性的で面白いことを言って笑わせる人、くらいの認識でした。あるいは、女嫌いの、究極の女性差別者であると。しかし、誤解されると嫌なのですが、上野氏(引用者注:上野千鶴子のこと)に対してもその編集者に対しても、ぼくは怒りを感じたことはなくて、上野氏の先の文章を初めて目にしたときには、学術書に同性愛のことが書いてある、なんだか認められているみたいで嬉しい!と錯覚したほどです(笑)。いま思えば失礼きわまりない物言いなのですが、それでもちゃんとして本で同性愛に言及されていることが嬉しかった。それくらい同性愛という事柄は公的な領域からは排除されていて、「変態性欲」と笑いの領域に囲い込まれていました。

ジェンダーチェックがジェンダーフリーに基づいていることは明白であり、当初のジェンダーフリーがジェンダーチェックの二択による選択で同性愛に偏見を持っていたという批判からは逃げられない。今でもジェンダーチェックで「男は仕事」「女は家庭」と聞いているのを見ると、フェミニストたちの同性愛に対する偏見は伏見憲明が経験したころからどのくらい変わったのだろうか。

現在のフェミニストは同性愛のことを考えているという「正義」によって、ホモフォビアが覆い隠されてジェンダーフリーなるものが出てきたことを考えれば、むしろ見えにくくなった点でフェミニストたちの同性愛に対する偏見は悪質になっているのかもしれない。ジェンダーフリーは形を変えたホモフォビアであり、ジェンダーフリーはホモフォビアの別名である。

伏見憲明が「上野氏に対してもその編集者に対しても、ぼくは怒りを感じたことはなくて」と言ったのは、怒りを感じてはいけないというフェミニズムからの規範があり、それが内面の心理にまで及んだのだろう。

ジェンダーフリー派もバックラッシュ派も論争し合っているようで、「ジェンダーフリーは多様性を尊重する」という点では一致している。しかし、既述のようにジェンダーフリーは多様性を尊重するものではない。ジェンダーフリー派もバックラッシュ派も、間違った認識で不毛な論争をしている同じ仲間である。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2008年6月掲載(2009年12月に加筆)


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