渋谷区の同性パートナーシップ条例への違和感の正体

渋谷区の同性パートナーシップ条例で、LGBTへの権利などと謳っていることへの違和感を感じることがかなりある。賛成か反対かが議論の対象になることもそうだ。反対派が批判されているが、賛成派も批判されるべきだ。異性愛で社会の多数派に位置しておきながら、「賛成してやる」態度を取るのが気に食わない。反対派を批判している賛成派の絶対正義の側にいるというその剣幕には、笑ってしまう。役所から降りてきたから、たまたま賛成しているだけなのが透けて見える。一体、今まで、同性愛者のために正義の使者たちは何をしてきたのか。結婚で今まで散々言われてきたのは、「女が結婚する時に仕事か結婚かでどれだけ悩んできたかを男たちは全然分かってない」と言ってきた。

もちろん、ここで言っている女は異性愛の多数派の女たちのことだ。多数派の女の苦しみを一律に男に対して批判することは、ゲイの男たちのことを全く考えていない。法的に結婚できなかったゲイの男たちは、結婚を選択できた多数派の女たちよりも社会的に格下の存在だ。さて、今まで「女の苦しみ」とやらが男たちに向けられてきた時に、ゲイの男たちに配慮した声がどれだけあったか。そんなものはない。言われてきたのは、「女たちの苦しみを男たちが与えてきた」と一律に男を批判してきたことだ。ゲイの男を抹消していると認識されてきたことは殆どない。性犯罪についても、多数派の女たちの批判は一律に男に向かってきた。

性的指向が男にしか向かないゲイは、女を性的対象であると考える気持ちすらないので、女に性犯罪を積極的にする気持ちなど起きるわけがない。さて、性犯罪で一律に男批判がされてきた大量の言説の中で、ゲイの男たちを抹消せずに、同性愛者の男性たちは別であると明言してきた者たちがどれだけいただろうか。さらには、女性専用車両のことも考えられる。痴漢を防ぐと言いながら、女に性的指向が向くレズビアンの存在を考えると、女から女への痴漢は実際に繰り返し起きてきている。つまり、女性専用車両では痴漢は防げない。さらには、女への痴漢は男がするものと性的指向を無視した女性専用車両は、ゲイの男たちへの暴力でもある。

女性専用車両というホモフォビア:ゲイを排除する女性専用車両

BLのいい加減なゲイ描写に何ら問題を感じないで、同性パートナーシップ条例で反対派を批判する正義の使者ぶりもお笑いだ。

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こんなことを全く考えないのに、役所から降りてきた同性パートナーシップ条例で無邪気に反対派を批判している賛成派の鈍感さは何だろう。問題なのは、無邪気な多数派だ。同性愛者は同性愛であることを示してから行動しないといけないので、偏見がある社会では動きづらい。多数派の同性愛を考えていると言っている者たちが、本来はもっと前に同性愛者に対する対策を訴えておけばよかったのに、それをしてこなかった。役所のお墨付きがあるので動いて賛成に回るとは、従順な羊たちそのものだ。役所から、国から指導されないと動けないおとなしい羊のくせして、反対派に正義の鉄槌を食らわしているつもりの賛成派には失笑ものだ。

同性愛の問題は同性愛の問題ではなく、多数派が認めてこなかったから問題なのであって、異性愛問題と言うほうが正確だ。性的少数派の同性愛者よりも多数派の女たちのほうが被害者であるとして、人権問題でのリソースを多数派のほうに割くということをやってきたのが間違いだった。他の障害者問題でも、それよりも遥かに先に女性問題であるとして障害者問題は延々と放置され、健常者の女性に対するリソースのほうが大幅に割かれてきた。人権問題で少数派よりも多数派の女たちに対策をずっとしてきたことを反省しろというのが、ここで言っている反省の女性学の視点になる。そもそも、同性パートナーシップ条例なんかなくても、同性婚が認められればそれで済む話にすぎない。

役所のお墨付きがあるからといって賛成に回って無邪気にはしゃいでいる多数派は、同性婚に向けて何かしてきたのか。同性婚の法整備を求めることをせずに、単にパートナーシップ条例反対派を批判しているだけの呑気さは、反対派と遊んでいるようにも映る。同性愛が認められれば少子化問題につながるというのは確かにばかげている。性的指向が同性にしか向かない同性愛者は極少数ではあるが、社会に一定数いるので、今よりも多産であった時代にも同性愛者はいたからだ。問題があるとすると「なんちゃってバイセクシャルごっこ」で、これは性的指向ではなく性的嗜好になる。しかし、その「なんちゃってバイ」が少子化につながるわけでもない。

本当に少子化を解決するなら、経済の底上げをして、つまり、金融緩和と財政支出を十分にしてデフレ下での消費増税はせずに、そして、特に若年層には分配することだ。同性愛者を認めるというのは、ここで言及している「女の歴史的な苦しみ」を遥かに優先してきたことに制限をかけることでもある。当たり前だ。法的に結婚が認められない存在であることの衝撃も含めて自殺していった同性愛者もいるが、それを無視して法的に結婚できる女たちの苦しみなるものを最優先してきたからだ。今回の同性パートナーシップ条例で同性カップルが認められ、同性婚も認められ、他の少数派である障害者も社会的に認知が広がった社会は、今までの人権問題で多数派の女たち最優先できたことに当然ながら制限がかかる。

実は、これに制限をかけることが最も最大な抵抗勢力だ。これを聞いて苦虫を噛み潰したような表情をどんどん増やしていく、つまり、ここで言っている反省の女性学の視点が、少数派が認められていった先の社会の未来の姿になる。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2015年3月掲載


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