おっぱい募金について

スカパーのおっぱい募金に対してすら、中止するようにという声が上がっている。change.orgの「募金」「社会貢献」にかこつけて女性の体で人とお金を集める「おっぱい募金」は2015年で終わりにしてください!がそれだ。地上波ではなく、スカパーにまで女性差別で中止を求めるのは、自らの首を絞めることになってしまうことに全く気付いていない。このおっぱい募金には、女性が自らの意思で行っているにも関わらずに、中止しろと言っている。

結局、女性差別とは何で問題になるのか。女性差別が問題になるのは権力の勾配があるからで、男女には権力関係があるからだ。それでは、この権力の勾配は女性差別と言っている女性たちは持っていないのかということだ。権力の勾配はある。そして、おっぱい募金にまで問題にするのでは、権力関係で問題になっている他の人権問題との整合性の問題も出てくる。女性たちが読んでいるBLの立場も危うくなる。腐女子がBLを読むことで、女性たちが性抑圧から超えて、やっと性欲求を手に入れることになったと呑気に言われることがある。

しかし、異性愛の女性と同性愛の男性には当然ながら権力の勾配がある。そして、BLのいい加減な性描写によって、それに影響された腐女子たちは、実際にゲイに性暴力を加えているのだ。ゲイと言えばセックスのことばかり考えていると思い込み、実際にゲイに、受けか攻めかを聞くのは、女性にセックスの体位を聞くのと同じである。男性は女性より自殺しやすい上に、さらに同性愛者は自殺しやすいことを考えると、同性愛者の男性の自殺率は高くなる。

反省しない腐女子とBL作家たち:ボーイズラブとホモフォビア

スカパーのおっぱい募金が問題と言うのなら、性的少数者に対する性暴力で溢れているBLがファンタジーだと言っていつまでも逃れられる余地はなくなる世界になるが、それを覚悟しているのか。いや、そんなことは考えていない。おっぱい募金は女性差別だが、BLを楽しむのは女性の性の権利だという二重基準がまかり通っている。世の中は、多数派の女たちの「被害」ばかりが声高に叫ばれるが、スカパーのおっぱい募金ですら中止しようと言うのなら、多数派の女たちが少数派にしてきた差別問題の糾弾を覚悟しないといけない。

女性差別という声には、マジョリティの女たちがマイノリティに歴史的に抑圧してきて、現実も差別を続行中であることがすっかり抜けている。ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』が訴えることで書いたことだが、白人の女たちは黒人女性たちの存在を無視して女性差別を語ってきた。ネトフェミは自らが多数派で歴史的・現実的に性的少数者を差別しながら、ゲイを弄ぶ描写を肯定しながら、おっぱい募金にすら中止しろとよく言えるものだ。このままネトフェミの横暴が続けば、BL表現の禁止にもつながりかねないが、それもネトフェミの自業自得だろう。

世の中で、同和利権とか、障害者利権とか、同性愛利権とか色々な差別利権が言われているが、そんな差別利権なるものははっきり言って大したことではないし、声を大きくして差別利権をやめろという程度のものでもない。ネトフェミの横暴を見ていると、同和利権など生ぬるい女性利権こそ、日本最大の差別利権になっている。ネトフェミの女性利権による差別利権は、多数派の女たちの暴力を一切忘却しているので、このままで済むわけがない。ネトフェミがやっていることは、社会的少数者の在日韓国人を叩きながら、日本では日本人が差別されているなど頓珍漢なことを言っているネトウヨにそっくりである。

ネトウヨにそっくりだから排外主義になり、極右とも容易に近付く。このおっぱい募金は不快であるというのは、日本女性たるものがふしだらなことをするなという勢力もそうである。そういう宗教極右などの勢力とも、ネトフェミは手を結ぶことになる。このネトフェミと極右の結び付きが、社会の害悪そのものになっている。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2015年12月掲載



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