女たちの戦争責任

若桑みどり『戦争とジェンダー―戦争を起こす男性同盟と平和を創るジェンダー理論』(大月書店)170頁

 当然、生命と自然の大量破壊である戦争は、生態を破壊し、生命の根源を否定する。それは自然と生命から離れることのなかった「女性」の嫌悪するところである。この議論が本質主義であると非難されることを知りつつ、それでも私は、それが抑圧であったにもかかわらず、数千年以上にわたって女性が生命を産み、死者を看取った経験は、未来に向けての重大な経験であったと考えている。(太字強調は引用者)

若桑みどりは本質主義であると認識しながら、本質主義論を展開している。『戦争とジェンダー』の副題は、「戦争を起こす男性同盟と平和を創るジェンダー理論」だ。帯には、「男たちが戦争を起こしてきたのだから、今度は女性たちが平和をつくらなければならない」と書いている。これは「おわりに」にある記述で、それを帯に載せている。若桑みどりは序論で、「歴史的に戦争を遂行してこなかったほうのジェンダーである女性たちがかわって戦争論を語ろうではないか。それを読もうではないか。それが本書の目的」と言っている。

岡野幸江/北田幸恵/長谷川啓/渡邊澄子=共編『女たちの戦争責任』(東京堂出版)の「はじめに」に、以下の記述がある。

 確かに戦争責任の問題は論じられてきたし、文学の分野でも男性作家の場合は不十分ながらも追究されてきた。だが、女性作家の場合は一部を除いて、加害者の側面よりも被害者としての側面ばかりが強調され、戦争責任の問題は不問に付されてきた。(太字強調は引用者)

被害者としての側面ばかりが強調され、女の戦争責任の問題が不問にされてきたのは、若桑みどり『戦争とジェンダー』の「男たちが戦争を起こしてきたのだから、今度は女性たちが平和をつくらなければならない」のような言説があるからだ。『女たちの戦争責任』は、2004年発行だ。『戦争とジェンダー』は、2005年発行だ。若桑みどりは『女たちの戦争責任』の存在を知りながら、なおも『戦争とジェンダー』を書いたのだろうか。

『女たちの戦争責任』の86頁で狩野啓子は若桑みどり『戦争がつくる女性像』の引用をしていて、140頁では北田幸恵も『戦争がつくる女性像』の引用をしている。若桑みどりは女の戦争責任問題の際に言及される学者フェミニストの一人だったのだが、その人物が『戦争とジェンダー』で問題のある記述を残して死んでいった。若桑みどりは、2007年に亡くなった。ウィキペディアの若桑みどりの項目によると、単著としては『戦争とジェンダー』が生前に残した最後の著書だが、女の戦争責任を免罪するかのような本質主義の著書を最後に残した。『戦争とジェンダー』は、家父長制の記述が満載でもある。

加納実紀代は『女たちの戦争責任』の4頁で、「国防婦人会の生成発展を見ると、庶民女性による下からの盛り上がりを認めざるを得ない」と述べているし、同書の11頁では、国婦の女性たちが国防婦人会館の「運営をめぐって、牛耳ろうとする軍人を辞任に追い込んだ」とも述べている。加納実紀代は『女たちの<銃後>』増補新版(インパクト出版会)の127頁にも、新団体の地方監督権変更の件で、婦人団体が軍に介入して「主として関西の国婦の女たちが軍をつき上げ、閣議決定をひっくり返させた」ことも述べている。

大越愛子は、以下の『高群逸枝論集』「たをやめ」の文章を引用している。

『女たちの戦争責任』61頁

 わが<たをやめ>は家族心を生命としてをり、世界の家族化を願望してやまない。しかるにそれを疎外するものに対してわが聖戦はおこされるのであるから、戦争は積極的に女性のものといつてよい。わが子、わが夫、わが兄、わが弟を励まし、打ち勝たせずにはやまぬ女性の意志がここにある。今次の大聖戦に私どもは<女なれども>ではなく<女なればこそ>立ち上がつてゐるのである。

高群逸枝だけでなく、高良とみも「大東亜戦争」=聖戦と言っていた。

井上理恵は、以下の記述をしている。

『女たちの戦争責任』115-116頁

 「戸田家の兄妹」に出演した俳優たち、特に女優たちは人気者で大衆に大いなる影響を与える存在であった。高峰三枝子は一九三六年頃から松竹(大船)でかなりな数の映画――「戸田家~」以前に約40作品に出演――に登場したスターであった。戦意高揚の映画にも出ている。「戸田家の兄妹」のような儲け役、つまり嫁や姉に邪魔にされ、その解決方法として新天地へ行く場合はなおのこと大衆に対するアッピール度は高いだろう。新大陸への夢を描かせ、移住を推し進め、迷っている人々の背中をおした責任はどのように取れるのか、と思う。

『女たちの戦争責任』には20本の論文があって、20人の女性論者たちがそれぞれの論文を書いている。女たちの戦争責任を追究しようとする姿勢はもちろん感じられるが、渡邊澄子のように犠牲者である女の記述もある。大越愛子は、最初から「慰安婦」問題の記述をしている。従軍慰安婦問題を出すと女たちの戦争責任は免罪されるし、実際に免罪されてきたから、「はじめに」にあるように「被害者としての側面ばかりが強調され、戦争責任の問題は不問に付されてきた」のではないのか。『女たちの戦争責任』は、この被害者観の問題を真正面から受け止めることが目的であると「はじめに」に書いている。

女性作家委員会『女性と戦争』- 表現者になにができるか -

http://web.archive.org/web/20090208073748/http://www.japanpen.or.jp/committee/josei/index.html

アンケート結果

日本の場合、女性は戦争の推進役をはたしたのではなかったか。国防婦人会、死んで帰れ、銃後の守り、出征兵士を女性たちはどのようにして送ったのだったか。(50代 男性)

このアンケート結果の文章は、狩野啓子が『女たちの戦争責任』で取り上げている。

女の戦争責任に言及すると、「当時は参政権がなかったから」で済ませる人が多くいる。高群逸枝は女性史の分野だけでなく女性研究者の第一人者だったのは、服部奉公会の137件中、啓明会の7件中の研究助成金の中でただ一人の女性であった(加納実紀代『女たちの<銃後>』増補新版(インパクト出版会)3章の「高群逸枝」に記述あり)ことからも分かる。高良とみは、1940年12月の大政翼賛会の最初の臨時中央協力会議に、ただ一人の女性議員として参加した。

単に参政権があるだけの殆どの男たちは、研究者の第一人者として研究助成金を与えられることは絶対にないし、大政翼賛会の会議に参加することは絶対に不可能だ。映画の有名女優は大衆に大きな影響力があったが、単に参政権があるだけの殆どの男たちは映画に出ることもできなければ、大衆に大きな影響を与えることもできない。

高群逸枝、高良とみ、映画の有名女優に限らずに、大衆に対する戦争言説の影響力を大いに誇った女たちの力に比べれば、単に参政権があるだけの殆どの男たちの大衆への戦争言説の影響力など、ないようなものだろう。さらには、国防婦人会の庶民女性の下からの盛り上がりなどもあったのだから、参政権で免罪することは不可能だろう。

「被害者としての側面ばかりが強調され、戦争責任の問題は不問に付されてきた」ことの理由は、2005年に出版された学者フェミニストの本ですら「女は平和」の本質主義に陥っていて、その若桑みどりの本に対するまともな批判もない日本のフェミニズム界に大きな問題がある。

日本の戦争責任を追及している「リベラル」と言われる者たちが、女の戦争責任に言及しないのなら、それは似非リベラルだ。「リベラル」と言われる者たちは女の加害性や暴力性への言及を避ける傾向があるので、女の戦争責任に対する言及も避けるのだろう。女の戦争責任が言及されるようになるには、もっと女の加害性があらゆる面で指摘される必要がある。

テレビで文化人などと言われる人たちが「女は平和なんです」と言うような意見も見かけるし、「リベラル」と言われる者たちや、学者フェミニストまで「女は平和」に陥っている日本で女の戦争責任に言及して女の加害性を追究するのは、従軍慰安婦や南京大虐殺問題の追究などよりも遥かに大変なのだろうか。

『女たちの戦争責任』の「はじめに」にあるように、日本の学者フェミニストによる女の戦争責任の追及は不十分だが、不十分ながらもフェミニストたちが女の戦争責任を追及してきたのは、女も責任をもった人間であるという意識があるからだろう。女の戦争責任の言及に怯んでしまう似非リベラルは、責任をもった人間に女は入れないという心理があるのかもしれない。


エーリヒ・ルーデンドルフ「戦争の帰趨は、もはや前線の軍隊によってではなく、銃後の士気によって決定されるようになった」

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2008年5月掲載


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