女性クオータ制と少数派問題との整合性など

NHKのクローズアップ現代の、“ウーマノミクス(女性経済)”が日本を変えるを見た(2011年1月11日(火))。

番組の中で、ノルウェーのクオータ制の話があった。ノルウェーは法律で民間企業の取締役の4割を女性にしていて、それに反すれば会社の解散を命じることもあるというものだ。これに対して、番組の中では経済合理性に反するので反対であるという意見が出ていた。しかし、この女性割り当て制に賛成する意見もある。

ノルウェーのように、経済合理性を抜きにして人権を重視した政策をしたらどうなるのか。会社の解散も命じることもある法律で、女性の比率を民間企業に強制するだけの人権問題であるのならば、それ相応の歴史的経緯がないといけない。

クオータ制を女性にしようと主張している者たちに対する疑問は、人権問題の優先順序に対する理解が欠如しているのではないかということだ。人権問題の優先原則は少数派に対するものであって、多数派を優先するものではない。

女性へのクオータ制でのその女のほとんど全ては、多数派の女であるところに問題がある。ここを強く認識してクオータ制を女性に、と言っている者がどれだけいるのか。日本の人権問題の歴史を振り返れば、例えば、そこには部落問題がある。これを考えても、クオータ制を単に女性にというのは整合性がない。

同和対策事業があった。1969年の同和対策事業特別措置法は、10年の時限立法として成立した。それが延長されて、1982年の地域改善対策特別措置法に継承された。それからさらに、以下のようになった。

黒川みどり「同和対策事業」『日本歴史大事典』(小学館)

さらに1987年には、政府は事業の廃止ないし一般事業への移行を決め、特定事業にかかわる財政上の特別措置(地対財特法)によって残事業を行い、1997年(平成9)地域対策事業の終了を宣言した。

差別利権でよく問題になる同和利権だが、そもそもの同和対策事業特別措置法は、10年の時限立法でしかなかった。部落差別は、日本の近現代の歴史を振り返れば、最も重大な意味を持つ差別だ。その部落差別の歴史的経緯のための改善の法律でさえも、10年の時限立法の法律で終了するところを、延長に延長をして1997年に終了している。

被差別部落出身者へのノルウェーのような強力なクオータ制は逆差別であると言うが、多数派の女へのノルウェー型の強力なクオータ制を強制するのは「正当な差別改善策」であるというのは、日本の差別問題の合理性に相当の疑問符が付くことだ。

部落問題をあげたのは、一つの例だ。少数派問題は他にもあるからだ。障害者問題もある。障害者問題には、欠格条項の歴史がある。障害児は戦力にならないので学童疎開の対象外にされて、戦時中はまさに死と直面する日々であった。障害者の歴史もまた、多数派の健常者の女たちよりも人権が制限された歴史を持っている。

日本の歴史を振り返ると、ほとんど全ての女である多数派の女たちへの歴史的差別は、女性の人権先進国と考えられている欧州諸国の女性よりも抑圧されていたわけでもない。他国と比べて歴史的に日本の女性はひどく差別されてきたと素朴に言っている者たちの多くは、歴史修正主義者である。それには複数の理由がある。その象徴的なことに、寺子屋がある。

牧田りゑ子「女師匠」『日本歴史大事典』(小学館)

芸事などを教える女の師匠。近世も後期に入ると全国的に寺子屋が増大し、とくに町方では多くの娘たちが寺子屋で学ぶようになった。そのため女の師匠も増え、江戸では19世紀初めには女手習い師匠が全体の3分の1を超えていたと推定される。

ノルウェーは法律で強制して4割だが、この時代の江戸にはそのくらいの女師匠がいた。この時代の寺子屋の師匠への尊敬のされかたは、今の教師の比ではないのは筆子塚のことを考えても分かる。当時の識字率について、ウィキペディアにも書いてある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/寺子屋

番組内で育児のことを言っていたが、イザベラ・バード「これほど子どもを可愛がり、いつもいっしょにいる国民を見たことがない」、モース「日本は子どもの天国」、フィッセル「日本の親は子どものために捧げ続ける」などのことは、聞いたことがある人も多いのではないのか。フランスのモンテーニュ『随想録』にある生徒を前に血にまみれたムチの折れはしが飛び散る様子などが描かれている当時のフランスの子どもの教育とは、日本の教育の歴史は相当に違うものだ。

まるで北欧を現代の地上の楽園のように言う者たちは、アイスランドの経済破綻の問題をどう考えているのか。人権先進国と言っているスウェーデンで、反移民を訴える政党が躍進したことをどう考えているのか。

以下は、関連の資料。

ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』岡田章雄訳注、岩波文庫

第二章 女性のその風貌、風習について

1 ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。

網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』(ちくま学芸文庫)の145頁には、このフロイスの記述について「そこで詳しくフロイスの指摘を検討しているうちに、私は、どうもこれはみな本当のことなのではないか、と思うようになってきました」と書いてある。そして、検討した記述の後に以下のことを書いている。

網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』ちくま学芸文庫、154-155頁

 そしてこのように考えてきますと、フロイスが「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ結婚もできる」といったことも、決して不自然なでまかせとはいえませんし、「日本では娘たちが両親に断りもしないでどこでも出掛ける。妻は夫に知らせないで出掛ける」というのも十分あり得ることだといえそうです。
 ですから、フロイスの記述は、この点でも決して不正確ではないと思います。ただこういうふうにずばっと書かれると、私たちはびっくりしてしまうのですけれども、むしろこれを事実とした上で、当時の女性の問題を考える必要がある、と私は考えます。

立ち上がれ日本は、以下の政策宣言をしている。

参議院選挙公約 政策宣言2010(原案)平成22年6月17日

【1】強い経済 (3)「生涯現役・女性活躍社会」への転換

http://www.tachiagare.jp/pdf/newsrelease_100617_2.pdf

[2]働きたい女性の皆さんへ
 知識経済の世界競争が激しくなる現代では、感性に秀でた女性の能力は「日本の宝」です。女性の能力をもっと活かす社会に変えることで成長力倍増をめざします。具体的には、出産後の女性の継続就業率を欧州 並み55%まで引き上げ、女性管理職比率も30%以上を目指します。

立ち上がれ日本はノルウェーのように法律で強制しろと言っているのではないが、数値目標を掲げている。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2011年1月掲載


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