NHK大河での誤った男女共同参画の忖度

NHKの大河ドラマの『花燃ゆ』が、全50回の平均視聴率が12.0%になった。NHKの大河は2011年の『江 ~姫たちの戦国~』、2013年の『八重の桜』、2015年の『花燃ゆ』と男女交互の主人公にしている。そして、2017年もまた再び女性主人公である。『江』は歴史なんかどうでもよく、ファンタジー史観で女性の活躍を描いたものだった。NHK大河ドラマは史実に即しているというのは、女性主人公のファンタジー史観を強引に突き進めたことで、さらに胡散臭いものになった。

この胡散臭さが、NHKが考える男女共同参画である。不思議なことがある。NHKに対して国のいいなりになる機関であると批判される時に、この男女共同参画のことがタブーになっているのだ。NHKは戦前の歴史から考えても、その時の権力の言いなりになってきた機関であることは間違いない。男女共同参画もお国の政策なのだから、それに従うのではなく、疑いの目を向けるのが本当に権力を監視し批判する矜持を忘れない報道機関がすることだ。

NHK大河ドラマは男が主人公ばかりで、女性の視点が足りないからと無理やり女性を主役にすることが、これからの男女共同参画の時代であるという誤った考えが男女交互の女性主人公である。そこには、ジェンダーを出せば歴史なんかどうでもいいという恐ろしさがある。ジェンダーの前には、歴史修正主義も当然にまかり通るのだ。男女の権力の勾配があるので、それを是正するために、歴史ファンタジーでもいいから女性主人公をゴリ押しするという陳腐な発想がある。

なるほど。それでは、男女の権力の勾配に限らず、他の権力の勾配にも配慮しないと整合性がない。NHKの大河ドラマは歴史を描写しているのだから、そこには、日本の実際の歴史がないといけない。被差別部落の描写はあるだろうか。日本での歴史的な差別で絶対に忘れてはいけないのが、被差別部落の問題だ。権力の勾配は、非被差別部落/被差別部落の間に歴然とあるので、それを是正するために被差別部落の描写をしないのか。

男ばかりが主人公が気に入らないの主張は通って歴史を捏造しでても女性主人公にするが、被差別部落の描写は一切ない。これを見ると、権力の勾配を是正するためというのは嘘だ。女たちを主人公にしないといけないのは、男女共同参画というお国の政策に逆らえないNHK、お国のNHKは健在である。権力の勾配を是正するためなら、思い切って、障害者を主人公にして健常者を使う側の大河ドラマでもしたらどうだ。まさか、それはファンタジーになるからいけないとは言わないだろう。

女性主人公の大河ドラマでは、ファンタジー史観だらけなのだから。今時、女主人公にしたくらいで権力の勾配を是正したと言うとは、時代遅れもいいところだろう。民放のドラマのほうが、お国の政策の男女共同参画があっても、女性主人公を歴史を捏造してまでゴリ押しすることはしていない。『半沢直樹』のように視聴率が格段にいいドラマは、基本的に今でも男の物語の傾向が強い。つまり、女性たちがそういう男の物語のドラマを好んで見ているから視聴率がいい傾向は以前から同じである。

NHKの大河ドラマのように、歴史捏造を無理やりして女性をゴリ押しするのは、実は大半の女性視聴者に受け入れられていないのだ。だから、視聴率が悪いのだ。イケメン俳優とか、幕末男子の育て方とか、歴史ファンタジーを加えて女主人公をゴリ押しするとか、頭の悪いネトフェミ路線では視聴者は離れるのだ。なぜ、女性視聴者は、今でも変わらず、男の物語を好んで見る傾向にあるのか。これは、ジェンダーというより、最近の研究でさらに新しく主張されるようになった進化心理学などの知見が言っていることが正しい証左になっている。

この進化心理学などは、今までのフェミニズムが言ってきたことが間違いであることをかなり言ってきている。NHKの大河ドラマなど別に見る気もしないから個人的なことに限定すればどうでもいいことではあるが、NHKだから信用できると今でも言っているのがそれなりにいることも不思議だ。NHKは、NHKのドキュメンタリーの看板番組であるNHKスペシャルで、今まで何度も深刻な捏造を繰り返してきている。

『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』もそうだし、佐村河内守のNHKスペシャルも真っ赤な嘘だった。クローズアップ現代も、やらせ番組を放送した。看板番組でやらせばかりしているNHKが信用できるはずがない。そんなNHKだからこそ、看板のドラマ番組の大河ドラマでも、歴史を捏造してまで女性を持ち上げ、無理やり男女交互に主人公にする大河ドラマをするのだ。NHKは国がこれをしろと言ったらそれをするのは、男女共同参画を忖度していることでも分かる。

NHKなりの解釈で男女共同参画を忖度し、ジェンダー平等とは、歴史を捏造してでも大河ドラマで女性主人公を半分にすることだと思っているのだ。それが、アファーマティブ・アクションだと思っているのだ。被差別部落の人たちは、歴史的に熾烈な差別を受けてきて、そして、その差別の程度は弱まってはいても、今でもなくなってはいない。しかし、それでも、大河ドラマに被差別部落の描写が一切ないことで、被差別部落の人たちはNHKに今現実に抗議しているのか。

そんなことをすれば、同和利権など言われかねない。しかし、女性の場合には歴史を捏造してでも、女性主人公を半分にする。どれだけ酷い仕打ちを受けても同和利権と言われるのなら、大河ドラマの女性主人公ゴリ押しは女性利権である。差別利権の中で同和利権ばかり言われてきたが、現在の差別利権では、同和利権などより遥かに女性利権のほうが酷いことがまた表れていることの一環と見ていい。歴史捏造まで平気でするとは、もはや、女性の権利という用語はデマにも平然と使われるようになっているのだ。

女性利権:最大の差別利権に成り果てた女性差別

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2015年12月掲載



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