夫の家事分担に見る貧困層の悪循環と同じ構図

よく見かける光景がある。夫婦の家事の分担の問題で、妻が家事が大変なのは夫が協力しないからというものだ。そして、夫の家事が不十分と批判して、夫の協力で解決すると言っているのだ。それから、夫も妻の大変な苦しさを味わえと言っているのもよく見かける。とても馬鹿げたことだ。何が馬鹿げているのかと言えば、これは、貧困層の悪循環とよく似ているからだ。

貧困層の悪循環は、貧困で大変な人たちがいると言うと、いや、もっと大変な目に合っている人たちがいるから、お前はまだ楽と言って、もっと苦しめと言う。そして、貧困問題を解決するよりも、下層の人たちに目を向けて、それを利用して、貧困問題を温存するのだ。これは、悪徳経営者や資産家にとっては、都合のいいことだ。そして、そういう言説で、貧困の悪循環に陥る。

そもそも、妻の家事時間が長いのは、そこにいるただ一人の夫のせいなのか?いや、違う。たった一人の夫にどうこうできる問題ではない。社会構造の問題なのだから。つまり、長時間労働の問題である。つまり、過労死の問題である。つまり、過労死予備軍の問題である。過労死は圧倒的に男性が多い。

これだけ過労死予備軍が男性に偏っている現状の中で、夫に家事を分担しろなど無理なことだ。妻が本当に言わないといけないのは、この長時間労働につながる過労死が圧倒的に男性に偏っている状況を改善することである。それを無視して、全ての夫に向けて、夫が家事を協力しない、妻がどれだけ大変な目に合っているかをそこにいるたった一人の夫も経験して苦しめと言っている。

やはり、貧困層の悪循環で見られることと同じだろう。社会構造の問題なのに、個人の自己責任にしているのである。夫個人の自己責任ではない。そこにいる妻も含めて、夫が過労死予備軍だらけの社会を作っているのだ。妻は社会を構成しているのではないのか?その妻も、夫たちを過労死予備軍に陥らせている立派な一員であることを忘れてはいけない。

貧困層も自己責任ではない。夫婦の家事分担で言われていることは、夫個人の自己責任を執拗に言っているので、生活保護叩きにも似ている。確かに、生活保護の中には、不正受給がいる。しかし、生活保護が必要だから受けている人が多数である。しかし、不正受給がいるからと生活保護自体を批判したり、それに加えて、貧困層は自己責任というのも合わさって、さらに生活保護叩きをするのだ。

生活保護の問題でも、貧困層の問題でも、自己責任論を批判している同一人物が、夫の家事問題になると、社会構造を無視して、夫の自己責任と声高々に言うのだ。何と馬鹿げたことだろう。全く意見が一貫していないどころか、正反対である。過労死が圧倒的に男性が多いのは、統計を見れば分かる。

統計でよく言われるのは、青少年事件は凶悪化していないということだ。これは、殺人率を見ればよく分かる。少年事件の凶悪化は間違っている、統計をよく見ろと言っている同一人物が、家事では夫の自己責任と言って過労死の統計を無視する。女性差別と思われるジェンダー問題が絡んでくると、途端に思考停止して全体主義に走る。

貧困問題のように社会構造の問題は家事にもある。夫の家事時間を伸ばすのなら、まず先決すべきは、過労死があまりに男性に偏っていて、過労死予備軍の夫が多すぎることを改善することだ。妻の家事の苦しみを夫も味わって見ろと言うのなら、今まで男たちがさんざん過労死してきたことを女も苦しめと返されるという悪循環を生む。

問題なのは社会構造だと言うのなら、家事問題でも一貫しろ。家事で夫の自己責任とか夫も妻と同じ苦しみを味わえと言うのは、女は過労死が少なすぎるから仕事で楽しているとか、過労死が男女同数になって、女も男と同じだけ過労死しないと男の苦しみは女には分からないとか言うのと似たことだ。

結局、過労死問題を放置して、夫に家事を強要するのは、男女を分断するだけで意味のないことだ。やはり、貧困問題で貧困は自己責任と言って貧困層を分断しているのと何と似たことだろうか。

ブラック育児:貧困の悪循環に類似の相互理解なく夫は苦しめに、この構造と似たことを書いている。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2016年2月掲載



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