女子大学の必要性と障害者大学

共同通信(2012/02/14 19:44)に、以下の記事があった。

障害者の学生数が1万人超 05年から倍増、大学や高専

http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012021401002095.html

この記事には、国公私立1206校全部が回答とある。それだけの回答がありながら、1万人超しか障害者の学生がいない。障害者の大学進学のことを考える時に、常に思うのは、「なぜ、障害者だけのための専用の大学がないのだろうか」ということだ。そして、障害者大学はないのに、21世紀が10年以上過ぎた今でも、国公立の女子大学が複数あることが不思議でならない。

女子大学の本来の目的は、教育の機会均等だ。しかし、教育の機会均等によるアファーマティブ・アクションは、健常者の女性よりも遥かに障害者のほうに与えられるべきものだ。教育の機会均等のために、障害者教育よりも健常者の女子教育のほうを優先して女子大学を作ったところから、機会均等教育の優先順位を間違った。

健常者の女性と障害者の教育にはどれだけの差があったのかは、歴史的に簡単に確認することができる。

牧田りゑ子「女師匠」『日本歴史大事典』(小学館)

芸事などを教える女の師匠。近世も後期に入ると全国的に寺子屋が増大し、とくに町方では多くの娘たちが寺子屋で学ぶようになった。そのため女の師匠も増え、江戸では19世紀初めには女手習い師匠が全体の3分の1を超えていたと推定される。

日本の識字率が、各国に比べてどれだけ普及いたかは、以下にも載っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/寺子屋

そこを見ても分かるように、日本の教育は世界でも最高水準だった。そして、寺子屋は男子限定で教育されてきたわけではない。しかも、寺子屋の女師匠が全体の3分の1を超えていた。障害児を受け入れてきた寺子屋もあったが、健常者の女性への教育に比べれば熱心でなかったのは明らかだ。女師匠の数を考えるだけでも、そうだ。

乙竹岩造の調査によると、幕末には全国の寺子屋の10%弱に視覚・聴覚・肢体や知能に障害をもつ子供が通学していた。江戸では24%だった(「障害児教育」『日本歴史大事典』)。

教育の機会均等の歴史を振り返ると、「障害者よりも健常者の女性のほうが教育の機会が不平等であったので、障害者の大学進学よりも健常者の女性の大学進学のほうを優先させよう」という結論は全く出てこない。それは、歴史を捏造した歴史修正主義の反動になる。

しかし、その反動が「女性差別」によって高らかに正当化され、障害者大学はないのに、健常者の女子学生のための国公立の女子大学がいつまでも存続するという非常に不可思議なことが起こっている。これを反動と言わないで、何を反動と言うのだろうか。

人権の観点から考えて、健常者の女性と障害者への扱いに遥かに差がある典型的な事例がある。戦争時に、障害児は戦力とならないので学童疎開の対象外だった。健常者の女子児童は、もちろん学童疎開の対象だ。まさに死に直面していた障害児と、健常者の女子児童への扱いには明らかに違いあった。

戦争の最大の被害者は障害者だ。戦争の最大の被害者と言って、健常者の女性をあげるのは歴史の捏造の極みだろう。戦争の歴史は健常者同士のいざこざであって、健常者の男女が一緒になって起こしてきたのが、戦争の歴史だ(女の戦争責任)。障害者は常に健常者のいざこざで起こる戦争に巻き込まれてきた。

障害者への欠格条項の歴史を見ても、健常者の女性との違いが分かる。選挙権も、女性「だけ」がなかったわけではない。欠格条項の障害者も選挙権がなかった。戦後の欠格条項のことを考えても、健常者の女性が女性差別を熱心に主張している傍らで、それよりも遥かに深刻な健常者から障害者への差別問題に、何ら興味も無い健常者の女性だらけであった。

このようなことまで考えると、健常者の女性を障害者よりも優先するのは、ますます反動色が濃くなる。では、どうするのか。歴史的に見て、教育の機会均等が健常者の女性よりも障害者に与えられるべきことは明白であるので、国公立の女子大学をなくして、その予算で障害者大学を作るべきだ。

障害者大学は、障害者だけが入学できるもので、障害者専用大学にするべきだ。そして、教員や職員などのその大学の全ての人は、障害者を優先して雇用するべきだ。その障害者大学を卒業した障害者の学生がその障害者大学の教員になったり、職員になるのを優先するべきだ。もちろん、その障害者大学は、あらゆる障害者が通学しやすいように、健常者の大学とは違った大幅な改良をするべきだ。

こういう障害者の大学進学のためのあらゆる予算は、教育の機会均等の観点から、障害者教育よりも遥かに重要度がない国公立の女子大学をなくした予算から出せばいい。そもそも、障害者教育を考えると、女子大学は不当に優遇されてきた。本来の教育の機会均等を逸脱して、障害者よりも健常者の女性を優遇した差別利権の賜物になり果ててきたのが女子大学なので、女子大学から予算を当てることは正しいことだ。女子大学が出来たのが教育の機会均等のためなら、より教育の機会均等が必要な障害者教育へ予算を当てることに、反対する理由はないだろう。

教育の機会均等の重要性を訴えながら、実はその教育の機会均等をまともに考えることなく、最も教育の機会均等が与えられるべき障害者を差別してきたのが、女子大学の歴史である。その歴史をいつまでも続けたくないのならば、国公立の女子大学を廃止して、障害者のための専用大学を作ることに賛成するべきだ。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2012年2月掲載


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