女性専用車両と同性愛問題

女性専用車両には様々な批判があるが、女性専用車両はゲイの排除によって成り立っているという批判をほとんど聞いたことがない。「男」が痴漢をする可能性があるから女性専用車両が必要というのは、女に痴漢をする気もおきないゲイのことを全く考えていない。痴漢をする男と同じ男に見えるからといって、男にしか性的指向が向かないゲイも「男」という区切りで分けてしまうことの暴力性に気が付いていない。

痴漢に関することで、ゲイに対する暴力は毎年のように恒例行事として全国各地で行われている。女子高生や女子大生が、駅の構内で痴漢をやめるようにチラシを配ることはゲイの存在を抹消している。女子高生や女子大生に「痴漢をしないで!」と言われて強引にチラシを手渡されて、それを拒否しようとしても「男」であるから絶対にそのチラシを受け取らなければならないゲイのことを考えると、ゲイ差別の根は深い。

「男」であるのにそのチラシを受け取らないといって、まわりの者たちから白い目で見られる。そのことで精神的苦痛を受けるゲイがいても、「男」だから痴漢被害の女性のために我慢しろというわけだ。女たちに痴漢の加害行為をする気さえおきないゲイであるにも関わらずに。

こういう女子高生や女子大生のような無神経な多数派の女たちの言動によって、ゲイはこの世界がゲイを排除した世界であることを学習していく。ゲイは異性愛の男に偽装して男らしさを持たなければならず、「女のようなオカマ」の態度を見せてはならないという心理状態にも追い込んでしまう。そして、ゲイとしての自然な生活ができるのは、異性愛の男の偽装から解放された休みの日である。

女子高生たちが「なくそう痴漢」などと書かれたタスキを掛けて、駅の構内で痴漢の撃退法などが書かれたチラシを配っているという報道もされている。「なくそう痴漢」というタスキで痴漢のチラシをゲイに配れば、まるで「なくそうゲイ」というゲイの存在の抹消にも受け取れる。女子高生や女子大生などの駅構内での痴漢のチラシ配りは、「この世の中にはゲイはいないし、ゲイがいない世の中にしてしまおう」とする空恐ろしいことまで浮かんでくる。

性差別と言えば男女差別になり、そして、女性差別が最優先されるというおかしな現状がある限りはこういうゲイへの根深い差別は続いていく。女性差別と言っても、多数派の女たちへの差別問題ばかりだ。多数派の女たちへの女性差別ばかりが問題になるのは数の暴力があるからで、その数の暴力で多数派の女たちからの障害者、性的少数、セクシャル・マイノリティなどへの少数派への差別は覆い隠される。

ゲイたちの性的指向に違法宣言がされているのは、同性同士の結婚ができないということでも分かる。そして、異性愛の男に偽装しないでゲイであると公言すると、多数派の女たちよりも社会的な不利益まで蒙ることになる。ゲイは、法的にも社会的にも、多数派の女たちよりも格下の存在だ。多数派の女たちは、自分たちがゲイよりも権利を当たり前に享受できていることにどれだけ気が付いているのだろうか。「女性は結婚か仕事かで男にはない悩みがある」と散々言ってきたが、そもそも、ゲイの男たちは多数派の女たちが当然に享受してきた空気のような結婚をすることはできない。

女性専用車両で痴漢をなくせると思い込むのも、かなり安易なことだ。痴漢被害が多いことは、痴漢をする男の数が多いことではない。痴漢の最大の問題は痴漢の常習者がいることであって、その常習者のことを考えれば一部に女性専用車両があることで痴漢が目に見えて減る理由がない。

男性専用車両ができたらゲイの痴漢が出てくるとか言う者たちがいるが、それではレズビアンが女たちに行う痴女行為のことをどう考えているのだろうか。ゲイの存在を抹消し、レズビアンの存在も抹消してレズビアンの痴女行為も全くないことにしている女性専用車両は、間違いなくホモフォビア車両である。

女性専用車両は、ホモフォビアの強烈な装置として働いている。女性専用車両が公共の交通機関として当然に存在していることは、どれだけの暴力であるのだろうか。女性専用車両は、ゲイに対する根強い差別を植えつけたものとして歴史に残るだろう。

普段は同性愛者の権利を擁護すると言いながら、いざ女性の人権と衝突すると、同性愛者の視点が一切なくなって、多数派女性の視点だけで染まってしまう問題がここにも厳然とある。

女性への痴漢があるから他の人権問題を無視して突き進むことは、反女性差別正義によって関東大震災時の朝鮮人虐殺が起きたこととも重なる。被災地の性犯罪と強姦デマが関東大震災朝鮮人虐殺に繋がったに書いた通り、女性差別と言えば排外主義がまかり通るのだ。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2010年5月掲載


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