熊本地震:障害者より健常女性の避難所の生理用品を優遇しろ

「避難所での生理用品は贅沢品」と言った男が過去にいたということで、熊本地震で生理用品こそ不足していると延々とネットで言っていることの問題について。そもそも、生理用品が不足しているという認識が事実誤認にすぎない。2016年4月20日の時点で、すでに生理用品は届いており、それより、ウェットティッシュと栄養補助食品のほうが不足している。

「被災地で生理用品こそ不足で無理解」が現地から否定される
http://togetter.com/li/964997

ウェットティッシュは、避難所で問題になる感染症を防ぐことにも効果的であるのに、それを全く無視して生理用品不足というデマが回っていた。避難所で最も問題になるのは、障害者の存在だ。最大の災害弱者は障害者であるのに、健常女性という「災害弱者」ばかりがネットで声をでかくしている。生理用品も障害者もどちらにも順位を付けずに、同等に扱えというのは間違いだ。生理用品は他よりも届いている上に、障害者と健常者を同じに扱えとは意味が分からない。障害者という存在がいてもなお、健常者の女性のほうが差別されていると喚き立てる。

女性対策よりも障害者対策のほうが遥かに無理解だから、障害者のほうを優遇しろと言うと、女性差別と言い放つ。これは、健常者に対する障害者の逆差別と言っているわけだ。在特会が日本人差別こそ問題と言って、在日問題を有耶無耶にするのは、多数派の日本人のほうが日本では差別されていると言っているわけだが、健常者差別という妄想はこの在特会の論理にも通じる。避難所がバリアフリーでないのなら、障害者には移動の自由もない。

女性の場合で言えば、避難所の中にすら入れない状態なのだ。これだと、女性差別と激しく言われて国際問題なる。避難所での女性対策で言われていることは、生理用品とかトイレとかのことで、障害者対策のようにそもそも動くことができないというのとは次元が違う。男の運営は批判するが、健常者主体の運動は批判するどころか当然視する。「意思決定の場に女性を」とは言われるが、「意思決定の場に障害者を」は都合が悪いから無視する。

障害者差別解消法が施行されたのに、健常者よりも障害者のほうが災害時でも遥かに無理解であるという揺ぎない事実の指摘でさえも、健常女性への差別をやめろなどと言い出す。障害者よりも健常女性が優遇されるのは産む性としての期待があるからなのに、普段は女に産むことを期待するなと言っているのに、都合が悪くなると黙り込んでしまう。最大の災害弱者の障害者に比べれば、不足してないのに生理用品生理用品と言ってるのは、「避難所での生理用品は贅沢品」であると言っていいのが現状だ。

健常女性ばかりが人権問題で優先されてきたことを反省し制限をかけなければ、障害者と健常者の間の格差はますます拡大するばかりだ。男女格差で男ばかりを優先するなと言いながら、健障格差で健常者差別はやめろとはどういうことだ。健常者の女も、歴史的に障害者を差別してきた立派な健常員である。歴史的な男女差別があるから、今現在の男たちに歴史的な贖罪を求めているのが女性問題だ。

しかし、歴史的な健障格差があるのに、今現在の健常女性には歴史的な贖罪を求めるのはおかしいと言っている。ニーメラーの詩ではないが、「障害者が差別されて、健常女性に攻撃されたとき、私は声をあげなかった。私は障害者ではないから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」こういう社会の本当の底の障害者を無視することが、健常女性にも跳ね返ってくることを覚悟したほうがいい。

東日本大震災でも障害者のほうが健常者よりも犠牲になっている。熊本地震を見ても、障害者差別の歴史など関心も知識もなく、女性差別ばかり言っている健常女性は、数が多いから我がままで自分勝手なことばかり言って、健常女性という「災害弱者」をとことん主張している。健常女性の女性差別の主張は、最大の災害弱者の障害者の視点から見れば、反動的行為になっている。人類史は健常史である。

健常女性対策のために、健常男性の権利を制限することはすでにしている。歴史を無視して私こそ差別されていると我がまま言いたい放題の健常女性ばかりなのを見ると、健常女性の権利を制限して、障害者を優遇するようにしないといけないだろう。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2016年5月掲載



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