男女の自殺率格差問題

男女共同参画社会基本法

(男女の人権の尊重)
第三条 男女共同参画社会の形成は、男女の個人としての尊厳が重んぜられること、男女が性別による差別的取扱いを受けないこと、男女が個人として能力を発揮する機会が確保されることその他の男女の人権が尊重されることを旨として、行われなければならない。


図録▽世界各国の男女別自殺率を見ると、2004年の日本男性の自殺率は日本女性よりも約3倍くらいも多い。男女の自殺率格差は人命問題だ。人権で最重要の項目である人命問題であるにも関わらずに、ジェンダー論で真剣に論じられることがない。

加藤秀一『ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい』(朝日新聞社)131-132頁

中高年男性の自殺という悲劇は、「男も差別されている」からではなく、男たちが男性役割に呪縛され、苦しみながらも、悲鳴を上げることさえできないというところから―それが原因のすべてではないにせよ―生じてくるのです(他人に悩みを打ち明けることが苦手であるというのも、よく知られた「男性役割」の一側面です)。

このように、ジェンダー論では男性の自殺率と男らしさを結びつけることがよく行われている。だが、男らしさの規範が弱まった現在のほうが男性の自殺率は高くなっているし、男女の自殺率格差が拡大している。

WHOのCountry reports and charts availableのWestern Pacific RegionにJapanのpdfがある。そのpdfには、Suicide rates (per 100,000), by gender, Japan, 1950-2004.とSuicide rates (per 100,000), by gender and age, Japan, 2004とNumber of suicides by age group and gender. JAPAN, 2004がある。

つまり、次の3つがpdfにある。

  • 1950年から2004年までの日本の10万人当たりの男女別自殺率
  • 2004年の日本の性別と年齢の10万人当たりの自殺率
  • 2004年の日本の年齢層と性別の自殺数

1950年から2004年までの日本の10万人当たりの男女別自殺率(自殺対策白書のPDFにもっと詳しく載っています)。

男女の自殺率格差推移
年代 男性 女性 男女格差
1950年 24.0 15.3 約1.57倍
1955年 31.5 19.0 約1.66倍
1960年 25.1 18.1 約1.39倍
1965年 17.3 12.2 約1.42倍
1970年 17.2 13.2 約1.3倍
1975年 21.4 14.6 約1.46倍
1980年 22.2 13.1 約1.69倍
1985年 26.0 13.1 約1.98倍
1990年 20.4 12.4 約1.64倍
1995年 23.4 11.3 約2.07倍
2000年 35.2 13.4 約2.63倍
2004年 35.6 12.8 約2.78倍

現在になるほど男性の自殺率は高くなっている。男らしさの規範が弱まったのに高くなっている。このことから、男性が男らしさの鎧を取れば自殺率が低くなるとは言えない。男女自殺率の格差も現在になるほど拡大していることが分かる。このことから、男性が男らしさの鎧を取ると男女の自殺率格差が縮小するとも言えない。

ジェンダー論や女性学や男性学で、男性の自殺率や男女の自殺率格差問題を、男らしさと結びつけるのはなぜだろうか。統計を見れば、男らしさよりも他に主原因があると読み取れるのに男らしさと言い続けている。ここに、ジェンダー論、女性学、男性学の胡散臭さがはっきりと見て取れる。

統計を見れば、青少年による殺人率は戦後一貫して減少してきた。殺人の検挙率も特に下がったわけではない。男女の自殺率格差は、統計を見れば現代のほうが拡大している。男女の自殺率格差問題で男らしさのジェンダーに矮小化する者は統計を無視して語っている点で、統計を無視して青少年犯罪は凶悪化したと言っている者たちと同類である。

女性の政治家が増えたほうが男性の人命問題が考えられるようになるとか、女性が責任ある立場になった社会のほうが男女ともに幸せな社会になるなどという言説はなんだろうか。

男女共同参画予算には「生涯を通じた女性の健康支援」が設けられている。だが、男性の人命問題のための予算は全くない。平均寿命も男性のほうが7年くらい短く、男女の自殺率格差は男性のほうが3倍くらい多い現状であるのに、女性の健康支援の予算があるだけだ。

男女共同参画がこのようなことをするのは、男女共同参画を推進すれば男女の自殺率格差は縮小するという思想があるからではないのか。男女共同参画を推進し「男は仕事/女は家庭」ではなく、女性も社会に出て責任ある立場に立つ人が増えれば、男性の負担が減るから、男性の人命問題は解決されると思っているのではないのか。

男女共同参画を推進し、男らしさの負担を減らせば解決すると思っているのではないのか。男性の人命問題の予算を付けないのは「男女共同参画を推進すれば解決する問題だから」という妄想があるのだろう。

だが、統計上は女性の社会進出が進み、社会で責任ある立場に就く女性が増えた現代のほうが、自殺率の男女差は拡大している。男らしさはおかしいと散々言われている現代のほうが、自殺率の男女格差が開いているのだ。

責任ある立場に就く女性が増えても、男性の人命問題は一向に無視されたままだ。男社会の傾向が強かった時代のほうが格差は縮小し、男性の自殺率も低かった。男女共同参画を推進すれば、男女の自殺率格差は縮小するという根拠はない。その根拠がない以上、現在の男女共同参画予算が女性の健康支援だけであることを正当化できない。

人権で最重要項目である人命問題でさえも予算を全く付けないのは、男女共同参画局が「男がいくら死のうが知ったことではない」と言っているのと同じだ。予算額の制限があるのならば、人命問題であることを考えて、女性用の予算を減らしてそれを使えばいいことだ。

男女の自殺率格差が3倍くらいあることを無視し続けるのは何を意味するのか。「男は命をかけてでも、か弱い女を守る」ことを肯定するものだ。「男は仕事/女は家庭」「女は家事・育児をする特性がある」「女には母性があるのが当然」などのことと男女の自殺率格差を肯定することはつながる。

男女の自殺率格差が3倍くらいあっても男性の命のことを考えないのは、男が社会に出て荒波と戦う性だからであり、女は家にいて命を守られる性であり、そんな女は母性があるのは当然となる。

3倍くらいあるのに放っておけというのは、男は戦う性で女は守られる性だからだ。戦う性は主体的に行動し歴史をつくる。守られる性は周縁化され、他者になる。

若桑みどり『戦争とジェンダー』(大月書店)78頁にあるように「ジェンダー分業の究極のありかたは、『女は生命、男は戦争』」である。男女の自殺率格差を放置し続けることは、その「女は生命、男は戦争」を肯定し続けることだ。生命の存在である女は人命が重視され、戦う性である男は人命が軽視される。

男は戦う性だから命が擦り切れるのであって、女は戦わないで守られる性だから命を重視される。男女の自殺率格差が3倍くらいあっても男性の人命問題を無視し続けている現状では、女を周縁に追いやって、女が他者になるのは当たり前だ。

女の他者性を問題視しているフェミニストたちが、その他者性を本当につくりあげている男女の自殺率格差を問題にしないといけない。フェミニストたちは男らしさが問題と言うだけで、男女共同参画予算に男性の人命問題の予算がないのを問題視しない。

男女の自殺率格差が3倍くらいあるのを肯定し続ける限り、女は周縁の存在であり、女は他者であり続ける。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2007年12月掲載

《追記》

自殺率は男性のほうが高い上に、同性愛者は自殺しやすい。つまり、同性愛者の男性は顕著に自殺しやすい傾向がある。それに、女のほうがいざという時には強いから男のほうが自殺率が高いというのなら、女性の救済への特別予算は切り捨てていいとなるが。

男性自殺率の高さを言うと、「男性差別の主張にすぎないから男だけで解決しろ」などの問題は、人命は最も重要な人権問題であり、男性自殺率が高いのは女性も含めて社会構造を構築してきたからだ。男性差別ではなく、男女問題であり、さらには社会構造全体の問題である。それを男性差別と矮小化するのなら、女性に対する偏見と言われるあらゆることも社会の問題でもなく、男性は関係ないから女だけで解決しろとなる。

つまり、男女雇用機会均等法なども含めた社会・法整備も必要なくなる。人命問題を軽視して知るかよの姿勢が、女性に跳ね返ってきていることを真摯に考えるべきだろう。



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