異性愛者特権

異性愛女性特権があるのに、異性愛女性への被害こそ深刻と捏造するのをやめろということ。こういう例はかなりあるが。

朝日新聞で壇蜜がセクハラの件で回答したのが問題になってたのは、中学の同級生の男子から女子に対してだった。それで、その中学の男子は性犯罪者だからとか、その学校から追い出せとかかなり叩かれていた。

セクハラは男女の権力関係がある中で問題になってきたという基本的なことが分かっていない。学校内では、教師から生徒。社内なら上司から部下。言い返せないし、従わないといけない権力関係を利用してきたからだ。

まず、この基本的なセクハラの流れが全く分かっていない層にまでセクハラが浸透している。権力関係の意味が分かっていないから、異性愛女性は同性愛男性より権力関係で上に位置するという基本的なことも分からない。

学校の同級生同士でここまでセクハラと言うのは、異性愛女性が多数派だから声が大きいだけで、被害の程度がひどいからではない。つい最近も同性愛男性が自殺して問題になっていたが、今さら問題になる意味も分からない。

同性愛男性の自殺率は、異性愛女性よりもかなり高いことは以前から言われてきたのだから。今回だけ、同性愛者男性の自殺を問題にするのではなく、もっと前から大問題にするべきだった。

異性愛女性の被害こそが深刻という捏造によって、それより深刻な同性愛男性の問題が放置されてきた。自殺率が相当高いことのほうが大問題にしないといけないのは、人権で最大の問題は人命問題だから。

togetterのコメント欄で男子の同級生は性犯罪者と言っているが、その同じtogetterでは、ホモォは自虐だから許せとか、ホモは黙ってろとかのコメントばかりだ。そして、ゲイ一般ではなく、特定の個として存在するゲイをセクハラ含めて、叩きまくっている。

twitterトレンド一位にまでなった、溢れ出る"ホモォ"にリアルゲイが一人思うこと。

コメントを見ると、ゲイが腐女子側を批判しているから同情できないとか書いてある。これは、少数派差別を言ってるのに多数派差別を言うのと同じ。黒人差別を言ってるのに白人差別もあるからとか、在日韓国人差別を言ってるのに日本人差別を言うのと似ている。性的少数者への差別と異性愛者への差別が平坦ではないことすら分かっていない。

同級生男子に性犯罪者とまで言いながら、クラスでホモォという女子は問題ではないと。それは、傷つける相手がいないからだと。ゲイであることは自分がゲイであると宣言しないと周りに分からないのに、どうやって傷つけていないと分かるんだろうか?

ゲイであると言ったら社会的不利益を被る社会が問題なのに、ゲイであると言わないお前が悪いとでも言うのだろうか?

いい加減に異性愛女性へのセクハラこそが最大の被害者だという間違いを正し、同性愛者へのセクハラのほうがより深刻であることを認めろ。異性愛女性へのセクハラこそがセクハラであるとの声が大きすぎる。ハラスメントで言えば、障害者ハラスメントこそ深刻だ。

異性愛女性という社会的強者で多数派である意見ばかりが優遇されるのは、在日韓国人を駆除しろという多数派日本人の発想が優遇されることにもつながる。実際、女性へのセクハラは批判するが嫌韓発言をしているのはよく見ることだ。

在日韓国人に原因があるから叩かれると言って、叩くほうを正当化している意見を結構見る。そう言っている層も、女性への性的被害は叩いているのだ(在日韓国人が強姦しているなどデマを言っているのも含めて)。

在日韓国人への在日特権はないが(無理やり言うなら、似非在日特権だろう)、異性愛女性特権は明白に存在する。

ヘイトスピーチ規制法の時には、在日韓国人叩きができないから表現の自由を制限するなとかなり反発があったが、女性へのセクハラではそんな反発など起きない。

セクハラでも、異性愛女性へのセクハラこそが最大の被害を受けているという多数派論理で占めていて、それを普段はリベラルとか左派とか言われている層も受け入れている恐ろしさがある。

多数派への被害こそが深刻で、少数派への被害の声は都合が悪いから無視しろとして延々と放置してきた結果が、同性愛男性の自殺率が異性愛女性より異常に高いことにつながっている。

こういった多数派論理の怖さは、在日韓国人叩きや同性愛者叩きや、障害者叩きで優生思想に染まったりする。セクハラで異性愛女性の被害ばかり取り上げることが、レイシズムの発想にもつながっている。

こんなことを言ったら、フェミニストとか左派とか言われる層に叩かれるが、多数派女性への優遇が少数派を抑圧してきたのは歴史的事実なのだから、言い続けるしかない。

室井滋が同性愛男性は女の子と付き合ったら変わると言って問題になったと言っても、壇蜜の件より問題になってないし、性的少数者を多数派に矯正する発言は室井滋だけに限らない。

差別のひどさは、異性愛者特権の女性へより、性的少数者の性的指向を変えさせろというほうが遥かにひどい。異性愛女性ばかりで声高に叫ぶ社会で、それを批判すると女性差別するなと言われる。それは異性愛女性差別こそが差別の代表であるとする異性愛特権の賜物である。

個人的なことは政治的なことは女性差別の特権ではない

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2016年8月掲載



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