ブラック育児:貧困の悪循環に類似の相互理解なく夫は苦しめ

妻の育児を夫が一週間変わって、夫が「疲れた」と言うと、妻が「私はそれをずっとしているのに、たかが一週間で疲れたとか言うな」と言う。そして、妻の苦しみを夫は経験してないから、夫は妻と同じだけ苦しめと言う。これは、貧困層の悪循環と同じ。もっと貧困で苦しんでいるのだから、お前はまだ楽していると言って、さらに下層を見て貧困問題を温存する。それで、安泰なのは悪徳経営者だ。そうではなく、妻は夫が育児で疲れたと言えば、相互理解で育児を一緒にするようにしないといけない。

そうではないと、どうなるか。妻も夫と同じ苦しみを味わえと言われるだけだ。そして、過労死する女が少なすぎると言われて、女が男と同じだけ過労死しないと平等ではないなどと言われてしまう。こうなってしまうのは、妻の苦しみを夫も味わえという姿勢だからだ。妻が夫のイクメン気取りの育児にイライラするといのもそうだ。これも、相互理解で一緒に育児をするべきなのに、夫には言ってやらないと分からないという姿勢だ。

当たり前だ。無言の妻の言うことの全てを理解しろとでもいうのか。それでは、その妻は相互理解がない職場で仕事の手順を知らされないで、その妻は自分で仕事を覚えろと言われたらどうだ。それは、ブラック企業だ。育児で言われていることで、妻から夫への姿勢はブラック企業がやっていることにそっくりなことが多い。それに、私がした苦しみを味わえなら、姑からの嫁いびりも全く正しいわけだ。姑はこれだけ苦労したから嫁も苦しめなわけだ。結局、相互理解がない育児など、ブラック企業と同じである。

そして、相互理解がないと、自己責任ということになり、結局、母親が育児で苦しむことになる。私の苦労を夫も味わえ、そして私は手伝わないと言うのは、自己責任論になって、母親に返ってくることを考えるべきだ。育児を経験してない男には分からないとか言い出したら、健常者は障害者になる経験をしないと障害者問題は理解できないことになる。育児は老老介護に比べれば、たかが育児にすぎない。

健常児の育児の大変な時期は先が見える短いものにすぎない。介護は身体を持ち上げるのも苦労するのは、体重の違いでもすぐに分かる。大変さで順位を付けるなら、育児よりも介護を重視するべきとなる。育児は別に大した苦労ではないが大騒ぎしているのは、メディアが多数派に支持を受けやすいからだ。大変さで言うのなら育児より老老介護だし、障害者、難病などのほうが育児よりも世の中の理解は甚だしく欠如している。

まるで、育児は世の中で最も大変であるという勢いである。これは完全な間違いなので訂正するべきだが、多数派の甘えに訴えかける簡単な仕事が続く世の中では難しいのだろう。育児は誰でもすべきことだからだと?何と言う優生思想だろうか。健常者のように簡単に育児をできない障害者の存在などを全く考えていない。育児はこれだけ大変と騒ぎ立てて相互理解がないのなら、もっと大変なのがあると言われて育児は楽と言い返されるだけだ。

相互理解のない育児論は、ブラック企業のほうが大変などと言い返される。ブラック企業はたかが育児が大変な短い期間ではなく、もっと長期間続くが生活のためには辞めるわけにいもいかない。このブラック企業も含めて、さらには男性の過労死があるから育児で妻が孤立するという視点で、男性の過労死問題を深刻に考えるという視点は育児論でも欠如している。過労死する男が悪いんだから、育児で過労死の話題をするなという姿勢ばかりだ。

結局、安易なジェンダー論が跋扈したせいで、多数派の女性が大変な目に合っていることばかりが注目されるのがジェンダー問題だということになってしまっている。こんな馬鹿なことになるのは、多数派の甘えに依存した社会だからだ。もはや、育児論を見ても、人工知能に解決してもらうしかないのだろうか?お前ら多数派の女の育児なんか、老老介護や障害者問題より生易しいものだから、騒ぎ立てるなという人工知能に世の中を支配してもらうしかないのか。

夫の家事分担に見る貧困層の悪循環と同じ構図に、この構造の続きを書いている。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2016年3月掲載



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