保育園落ちたの私だ

保育園落ちたの私だと、twitter上でのつぶやきが『毎日新聞』にも記事になっていた。香山リカは『「特定の誰かのクレームではなく、みんなの問題なのだ」と共有している』と書いている。何と、馬鹿げたことだろう。同じ『毎日新聞』や他の新聞記事にも載っているが、待機児童は全国の主要都市部に集中して、特に、都内23区に甚だしく集中している。そして、23区ではこれだけ待機児童があると新聞記事にも書いてある。

一方で、保育園が廃園になっている地方があり、それでもなお、待機児童が0の地方がある。この格差は何だろう。都内とは、甚だしいほどの地方の格差があるのだ。この保育園落ちたの件では、ますます、地方は都内から無視されていることがありありと分かった。それでは、なぜ、地方は声を上げないのか、声を上げない地方が悪いんだから地方の自己責任という声もある。

何と、馬鹿げたことか。ネット上でさえも都内の常識が日本の常識という偏見が蔓延している。その中で、私の住んでいるところは、待機児童がいないと言ったらどうなるか。そんなど田舎に住んでいるのかと蔑まれる。それが嫌で、田舎からの声が上がらないのだ。さらには、待機児童がいないか非常に少ない地方は、人口が少ないので、声が上がりづらい。

これは、多数派が少数派に向かって、声を上げないお前が悪いと言っている。普段は多様な声を尊重すると言いながら、いざとなると、都内の一極集中を是認するという化けの皮が剥がれている。地方人は日本人に非ずなのか?日本では若者の車離れなど言っている無知ぶりを見ても、地方では車が必須なのも分からない都内人の知性は溶解している。

日本は、都内23区と、地方とでは、まるで2つの別の国であるかのようだ。言葉が通じるのに、これほどまでに相互理解がないとは、根深い違いがある。都内に人口がどんどん増えているので、保育園を都内に増やしても、短期的な効果で終わってしまう。長期的には、東京一極集中を是正する必要があるということすら言わないで、保育園落ちたのは私だと言って、母親たちよ団結せよの勢いだ。

そして、保育園落ちたのは私だと言って、全国民よ団結せよですか?普段は日本の多様性をあらわすのに豊かな地方の自然と言って、地方にこそ日本の原風景があると都合よく使っているのに、いざとなると、地方を切り捨てて、都内一極集中を批判しないとはどうしたことか。地方との大きな違いを全く無視して、地方蔑視がありありと見て取れるのに、なぜ、団結できるのだろうか?

地方には仕事がないというのも変だ。実際に、地方で仕事をしているのは、取るに足らないつまらない仕事で、そんな人生を歩みたくないということなのか。IT関連の仕事などなら、都内に住む必要はますますなくなる。長期的に、東京一極集中が是正になったら、地方でも仕事が今以上に増えるだろう。地方での仕事を考えても、東京一極集中はやめるべきだ。

そして、都内の待機児童とは全く違う地方を差別をしているくせに、都合がいいときだけ、保育園落ちたの私だと言って、地方も同じ日本だから団結しようなと調子がいいことを言っても、団結などできるわけがない。保育園落ちたの私だではなく、保育園に落ちない地方があることはしっかりと考えるべきだ。

保育園は増えているのに都内で待機児童問題が起きるのは、都内一極集中が進んでいるからだ。日本の東京一極集中は、世界的に見て異常事態だ。私の待機児童問題だけが解消すればいいではなく、日本全体では都内一極集中が待機児童以外も引き起こしている。この件で少子化のことも言われているが、都内こそ少子化が酷い。都内に女性を集めて産めなくして何がしたいのか。

老人が「今」しか考えず、若年層の将来を考えないことにも似てないか。都内一極集中の是正をしないと都内の母親たちも苦しむことになるが、この是正を考えずに、都内のママたちのことを考えろと言ってるのは、何か壮大なギャグを言っているつもりか。

「単に、短期的効果と長期的効果を一緒に語ればいいのに、短期的効果だけしか語らず、それで母親たちは苦しんでるとか言ってるから批判されてるんですよ。経済問題にしても同じ。マクロ視点で語れず、私のところだけ大変と言うと、日本全体の経済は沈下するだけです」

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2016年3月掲載



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