ヘイトスピーチ規制とセクハラでの表現と言論の自由

ヘイトスピーチ対策法案と言われる「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律案」は、適法居住で罰則もないのだが、表現の自由が損なわれるという批判がある。それより以前に、そもそも、ヘイトスピーチされる朝鮮人に原因があるという低次元の朝鮮人叩きがある。そして、在日特権を言っている。

この在日特権について短く言うと、戦前に勝手に朝鮮人を日本人にしておいて、戦後はまた勝手に日本人ではなくなったから生じたもので、特権ではない。表現の自由が奪われるについて言うと、確かに、その懸念はある。しかし、そもそも、このヘイトスピーチ規制法の以前に、表現の自由、言論の自由は既に大幅に失われている。

それは、セクハラだ。セクハラは、女性がどう受け取るかによって、セクハラになるかならないか変わってくる。非常に主観的で、女の子と言ったこともセクハラになる。「君の入れてくれたコーヒーおいしかったよ」もセクハラになる。朝鮮人と言ったらヘイトスピーチになるのか、元々の意味が問題ないのにヘイトスピーチになるのかと言ってるが、女性へのセクハラは元の意味が全く問題なくとも、文脈でセクハラになるわけだが。

朝鮮人という言い方や顔つきでは、朝鮮人と言うのもヘイトスピーチになる。しかし、女性を見る視線だけでも、何も発しなくてもセクハラと恣意的に言われるわけで、セクハラのほうが恐ろしく定義の幅がある。さらには、障害者に対する「言葉狩り」と対比している意見もある。片手落ちや失脚や腰砕けが普通に使われているのに言葉狩りなんかあるのか。

片手落ちは元の意味が問題ないから、障害者差別なんか関係ないで押し通している。それに反して、セクハラは一体何がセクハラになるのか。セクハラで懲戒免職や減給になるし、社会的制裁も受けるし、場合によっては刑罰がある。さらに、セカンドセクハラと言うのもある。

ヘイトスピーチ規制をするのは、デモで朝鮮人を駆除しろ、ゴキブリ、死ね、海に叩き込めなどと平然と言ってるから規制されるのであって当然のことだ。韓国政府などの韓国の権力側への批判はどんどんするべきだが、日本の圧倒的少数派にすぎない在日韓国人にゴキブリなどと言いまくってきた。日本人女性に対するものとは、次元が違うレベルで在日韓国人は熾烈に差別されてきている。

そこまでしているのに、罰則もないし、適法居住要件もある。こんなヘイトスピーチ規制法よりは、セクハラのほうが遥かに表現の自由への制限で、アニメや漫画ゲームや、ドラマや映画の描写にも、何でも女性差別で表現の幅を狭め、芸術表現にもセクハラと言って、表現規制をかける。しかも、日本の女性は世界的には性が開放的だった歴史があるのに、そんなことも知らずに被害者史観で捏造して表現の幅を狭める。

表現の自由への制限は、セクハラですでに十二分に行われてきたが、何で、今頃ヘイトスピーチ規制法案で表現の自由を叫んでいるのか。セクハラこそ定義が曖昧すぎてよく分からないことが多いが、ヘイトスピーチ規制法案は大したことはないし、できて当たり前の法案だ。駆除しろなど圧倒的社会的少数派にデモで言ってるのを規制するのは、なぜ当たり前か。

日本人が国外に住めば、そこでは圧倒的少数派だ。そこで、日本人排除をするデモが盛んに行われたらどうだ。それを考えれば、分かるだろう。それに、在日韓国人はこれだけ熾烈な差別を日本で受けながらも、それでも、在日にはこんな問題があるなどと言っている在日韓国人もいる。セクハラなどの曖昧すぎる定義でのさばる女性たちよりは、よほど理解があるのではないのか。

ヘイトスピーチ規制法の中身は日本人差別というものではない。そもそも、在日と日本人には権力の勾配があるから、多数派の日本人差別と言う時には慎重さがいるが、在特会などはこんなことは分からない。この法案ができた最大の貢献者は在特会だろう。こんな程度のことで表現の自由への制限を言うより、何でも女性差別で、あらゆることがセクハラと言われて、表現の自由が大幅に狭められている現実のほうが遥かに恐ろしい。

何でもセクハラ社会が近付いている方向性はゲシュタポのようでもあるが、ヘイトスピーチ規制は在日韓国人との距離を縮めることに貢献する和解への道だ。セクハラにある常軌を逸した攻撃性と言葉狩りは、ヘイトスピーチ規制にはない。セクハラは攻撃的で和解や理解が甚だしく欠ける分断装置の面がかなりあるが、ヘイトスピーチ規制法は、在日韓国人との和解につながる。

ゴキブリ駆除死ねと言われ続けても、全くヘイトスピーチ規制法ができなかったわけで、それより遥かに些細な女性問題には優先して対処してきたわけで、やはり、多数派日本人女性への「人権問題」が日本で最も排他的に優先されていることがまた明らかになった。それに、在日韓国人よりも多数派日本人女性への「女性差別」のほうが腫れ物扱いで、曖昧なセクハラ定義で被害者史観で多数派日本人女性への人権侵害のほうが深刻という誤った現状は、明らかに人権問題での優先順序が間違っている。

在特会はどうなる?あんな反日売国奴団体がどうなろうが、知ったことではないが。在特会は、在日特権という幻を言って、日本を貶める反日売国奴の会のことではないのか?朝鮮人はゴキブリ駆除死ねなどと言い続けるのをやめるのは、在日韓国人との和解になるのは当たり前だ。

そして、この在特会支持者でさえも、一人前に女性差別をやめろと言っている。もちろん、多数派日本人女性への差別をやめろという意味で、在日女性への差別はどうでもいいという姿勢だが。それでも、「女性差別」という魔法の言葉は、朝鮮人叩きの層にも浸透している。「女性差別」は、最も広範に行き渡っている軽薄な差別問題になっている。

在日韓国人差別は、多数派日本人との権力関係があるから問題なのに日本人差別はやめろ、朝鮮人はゴキブリと言っておきながら、「女性差別」になると、途端に弱者の女性への差別などと言う。結局、権力関係も権力の勾配も何も分からない層にまで差別というものが浸透したのが女性差別なるもので、朝鮮人叩きまで使われていることは、ネトウヨとネトフェミは同じ仲間という当サイトで言っていることと合致するわけだ。

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在日韓国人へのヘイトスピーチは、ゴキブリとかで問題になったわけで、一般人にはほとんど関係がない規制だ。セクハラの場合には、世間一般の間に入り込み、個人的なことは政治的なことであるという文句を悪用している。ヘイトスピーチ規制の表現の自由を言うなら、セクハラで遥かに表現の自由は制限されているわけで、すでに、表現の自由が狭まっており、この流れが権力側に都合よく使われることになる問題も考えていない。在日韓国人からのヘイトスピーチ絡みでの批判で、セクハラほど理不尽な主張があったのだろうか?

「ゴキブリと言うな」と、「私が個人的なことで主観で思うだけだけど、セクハラと思うから処分しろ」では、どれだけ大きな溝がああるのか?一般社会の表現の自由制限にとっては、セクハラのほうが遥かに基準も定義もなく恐ろしい。自主規制、事前規制で表現の自由の萎縮、表現の自由の拡大解釈の恐れは、既にセクハラで起こっていることだ。

「君の言うことには反対だが、君が言う権利は命を賭けて守る」が表現の自由だとしたら、これに最も反対なのがセクハラで、「君の言うことに反対だから、君に言う権利はない」がセクハラがしてきたことだ。セクハラを考えると、表現の自由などすでにないと言ってもいいくらいの状況にまできている。

ヘイトスピーチ対策法に、「著しく侮辱」という文言が入っているのが恐ろしい?セクハラは、著しく侮蔑でなく、この文脈で気に入らないとか、もっと軽い文脈でもセクハラセクハラと言われるわけだが。女性が男性の言動をちょっとでも不快に思えば即セクハラと規制される社会になっているので、それに比べれば、ヘイトスピーチ対策法のほうがずいぶんと理性があるものだ。

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反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2016年5月掲載

追記

ヘイトスピーチ対策法ができたことで、韓国政府への批判もヘイトスピーチになるのかと言ってるが、全くの見当違いだ。日本国内では在日韓国人と日本人の間には権力の勾配があるから問題で、韓国政府は列記とした権力側なのでどんどん批判するべきもの。そもそも、警察にデモを申請するのだが、その警察は記述のリンク先の強姦デマでの朝鮮人虐殺に大いに加担した。つまり、日本の警察組織は根源的に朝鮮人ヘイトの伝統があるわけで、韓国批判のデモができなくなるわけがない。むしろ、本当は推奨したいのが日本の警察組織の本音ではないのか?自白強要装置+朝鮮人ヘイトの伝統がある警察組織は、自らに都合のいい「人権」だけを取り上げてきた歴史があるわけで、朝鮮人叩きに近いデモも今後もできるだろう。



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