障害者を腫れ物から解放しろと女性の腫れ物

障害者は腫れ物のように扱われるから健常者と壁ができると言われて、今では障害者の障害を健常者が笑える社会にしようとしている。脳性麻痺の障害者が、ちっちゃな頃から寝たきりでと「自分の意思」で言って、健常者が笑っているのだ。これを革新性があると言って、NHKの『バリバラ』などでしているのだ。こういうことは、別にNHKが始めたのではなく、海外ではすでに起きていた。

さらに言うと、障害者の障害を笑うこと自体は何も革新的ではない。健常者は長らく見世物小屋で障害者のその障害の程度を笑って蔑んできた。確かに、障害者の障害も笑える社会にして健常者との壁を取り払うのは重要だ。しかし、女性の場合には腫れ物扱いのままなので、そことの整合性の問題が出てくる。

障害者はその障害で笑っているのだ。しかし、女性はその女性で笑うことは女性蔑視であると盛んに言われる。あらゆることで、女性蔑視と言われるのが現在の世の中だ。女性自らが自分の身体をネタに笑いを取っても、それは女性蔑視で許せないと言われる。それは、女性自らの意思ではなく、男社会からの要求でそうなってしまっているにすぎないと言われる。

しかし、障害者が自らの障害をネタにする時には、ここまでは言われない。そこにあるのは、障害者が自らの意思でしたものだから問題ないといわれるだけだ。しかし、そこには、健常者社会からの要求で障害者が障害をネタにせざるを得ない状況がないのか。女性の時には自らの意思というのはナイーブすぎると言われて、障害者の時には自らの意思でやってるから問題ないと言われる。

笑いのネタでさえも、障害者よりも健常者の女性のほうが女性蔑視と言われるのだ。これがおかしいのは、健常者の女性よりも障害者のほうが歴史的差別が酷だったのに、それを無視して、健常者の女性への差別のほうこそ気を使えと言っていることだ。女性が自らの身体の胸を強調して笑いを取ったり、胸の強調を見せるのも女性蔑視であると批判される。

これは、女性差別の再生産につながるからだと。しかし、障害者が障害をネタにすることは、障害者差別の再生産にはつながらないのか。そんなことは考えないのだ。健常者が障害者を笑う「権利」があって、初めて、障害者と健常者が仲良くできるというのだ。見世物小屋で障害者を笑い、ハンセン病で気持ち悪いから隔離しろと言ってきた。

障害者は私宅監置でも閉じ込めてきたし、断種もしてきた。これには、見た目が気持ち悪いからというのもある。その歴史があっても、障害者ネタで健常者が笑っているのだ。これが、健障平等だというのだ。障害者は、女性の場合とは大違いで寛容である。女性の場合には、女性差別の再生産と思われるものには、何でも女性差別でCMも中止に追い込む。

しかし、CMで障害者が果たして活躍しているのか。CMには障害者が出ていないのが当たり前で、CMとは健常者の物語である。CMは障害者差別こそひどいのに、女性差別ばかり言ってきている。障害者を腫れ物から解放しろと言って障害を笑いネタにしながら、女性には腫れ物のままで扱え、いつまでも女性蔑視と言って気に入らないCMなども中止まで追い込む。

これが成立するのは、障害者差別よりも健常者の女性への差別がひどい場合だ。しかし、歴史を見ると逆だ。『バリバラ』などで障害者ネタで笑いながら、女性が自らの身体で笑うネタは許せないとはどういうことだ。障害者を腫れ物扱いから解放しろというのなら、それより差別の程度が低い健常者の女性のほうこそ先に腫れ物扱いから解放するべきだったのをいつまでも腫れ物利権を温存している。

女性へのセクハラに過敏になって表現を萎縮させるまでにするのは人権上の正義だが、障害者がそれをすると障害者利権の言葉狩りだという不公正な実態がある。女の子はセクハラで片手落ちは言葉狩りとはに書いたことが関連している。障害者差別の歴史が過酷なものだったのに腫れ物から解放しろと言いながら、女性蔑視と思われる表現は許さないが通るわけがない。

ここまで障害者を健常者が笑う権利が言われるならば、女性が自らの胸や尻などをエロネタにしたものを笑う権利に女性蔑視と言って萎縮させるのは二重基準そのものだ。腫れ物扱いからの解放という意味では、女性の身体のエロネタ、障害者の障害ネタで笑える社会になるのはもちろん、日本で言うと、まだ問題がある。

それは、被差別部落の問題だ。エタという言葉があるが、エタ村はエタ村であるから、本来はエタと言えないとおかしい。ヒニンという言葉もあるから言えないとおかしい。日本での笑いの革新性と言うのなら、エタとヒニンとはっきり言って、それで笑いが取れる社会のことだ。これには、被差別部落差別がどれだけひどかったかというのを認識してからでないと無理だが。

エタとヒニンで笑う革新性に比べれば、NHKの『バリバラ』など後進性そのものだろう。将来的には、この被差別部落も含めて、あらゆる人権上の差別と言われるものが笑えるようになる社会が壁が取り払われた社会だ。しかし、女性が自らの身体でエロネタを言うくらいで女性蔑視と言われる超後進性の社会を見ると、それまでにはまだかなり時間がかかる。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2015年12月掲載



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