腐女子たちとホモフォビア

ボーイズラブはゲイへの偏見を助長するという批判は今まで何度も言われてきたが、最近ではゲイ作家のゲイ漫画と、ボーイズラブの近接性も言われてはきている。だが、今現在の状況(その後の追記を下に書いています)は、以前よりも腐女子のメディアへの露出度がかなり拡大しているので、見当違いな腐女子がさらに増え出して、腐女子のゲイへの偏見が根強くなっている状況もある。

美少年や美青年ばかりが出て実際のゲイ社会とは乖離した描写ばかりをしているボーイズラブばかりを読んでも、それでゲイを理解したことには全くならない。しかし、ボーイズラブを批判すると、「ゲイへの差別をするな」とか「ホモフォビア」などと言ってくる大きく勘違いした腐女子が多い。まるで、アダルトビデオのAV女優の演技を見て、それが全てありのままの女の姿であると本当に思っているかのようである。

ボーイズラブを読んで自己を投影している腐女子たちは、その本を同性愛ではなく異性愛の本として読んでいるので、ボーイズラブは同性愛の本であるという前提自体が違っている。ボーイズラブは同性愛を描いたものであるという前提自体が、正しいとはいえない。

ボーイズラブのゲイへの偏向した描写について、ゲイの当事者が栗本薫に送ったメールがある。

平成12年12月21日 栗本薫様宛のメール

『グインサーガ』「魔の聖域」の後書きで栗本薫が「(グインをヤオイにしたからと言って怒るのは)「あなた自身のホモに対するゆえなき偏見」を証明するものでしかないと思う。ヤオイというものは私にとってはある意味「ホモや同性愛やすべての少数派」に対する差別への抗議から始まっています」と書いてある。「強姦紛いのアナルセックスシーンや、障害者がいたぶられるシーンを書き散らす事が、なぜ同性愛者の擁護や差別に対する抗議になるのでしょう」という批判に対する、栗本薫の醜悪な正当化ほど酷い多数派の暴力も、あまり見ない。

普段、女性差別に敏感な多数派の女性が、BLになると途端にある差別を正当化するのをよく見るが、それでよく女性差別の批判ができるなと、毎回、感心する。この栗本薫並に鈍感になると、もう女性の人権のみならず、人権のことなど口出しする資格はない。

「ボーイズラブは、男からの性衝動の恐れに対する女たちの緩衝材として働いている」という考え方がある(単に女が出てくると嫉妬するので、男同士のほうがいいという声も大きい)。女たちがボーイズラブを読まなければならないのは、男たちが女たちに性の恐れを抱かせているからだという。しかし、男から女への性衝動に恐れがあるのは、日本に限らない。緩衝材の考えに立つと、日本にこれだけボーイズラブが普及しているのだから、日本は世界的に見ても、特に男から女に性衝動の恐れを抱かせる国であるという理由がなくてはならない。

男から女への性衝動の恐れとして処女から非処女になること、処女性の重視で考えても、日本では特に処女性を重視してこなかった。「日本にこれだけボーイズラブがあるのは、日本の男たちが女性に性の恐れを抱かせているから」というのは、日本の歴史や日本以外の国の状況を理解していない。

ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』岡田章雄訳注、岩波文庫

第二章 女性のその風貌、風習について

1 ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。

(参考:女たちの買春:江戸時代の男性売春者を買春の女性買春者と日本女性の処女性

ボーイズラブを読むことでゲイに対する理解をもっと深めようとして、ゲイの当事者が書いた文献を読んだりする腐女子もいるだろう。ボーイズラブは、ゲイの理解へのきっかけにはなる。しかし、そもそものボーイズラブの作家たち自身が、ゲイへの偏見に基づいて書いている者も少なくない。「ボーイズラブはファンタジーだから関係がない」ということはできない。偏見に基づいたボーイズラブによって、「私はゲイの味方」と大きく勘違いした腐女子たちの言説が拡散しているのだから。

多数派の女たちは多数派の男たちを糾弾して女性差別を言う時には威勢がいいが、多数派の女たちが少数派の男へ差別していることの反省があまりに足りなすぎる。ボーイズラブの問題も多数派から少数派への差別問題で、多数派の女たちが反省しないから問題になる。腐女子たちが、妄想に満ち満ちたボーイズラブを読むことが問題だと言っているわけではない。腐女子たちはゲイに対する強烈な偏見を根強く持ちながら、「私はゲイの味方」と思い込み、自らを「正義」の側に置き、「同性愛差別に反対!」などと言うことをいい加減に反省しろと言っているだけだ。

差別は複合的で、男が女を差別していると一律のものではなく、多数派の女たちが少数派の男を差別している深刻な問題がある。同性の結婚も認められていない状況では、ゲイたちは多数派の女たちよりも遥かに違法な者として存在している。日本のゲイは日本社会はゲイに寛容であるからとして、あまり抗議をしたりしない。『「オカマ」は差別か 『週刊金曜日』の「差別表現」事件―反差別論の再構築へ〈VOL.1〉』(ポット出版)を見ても、むしろ、「差別利権」というものに敏感なゲイも多い。そういう状況に腐女子たちは甘えてしまって、反省することが少なかった。

腐女子たちの多くは本当にゲイのことを理解しようとしてゲイの当事者が書いた文献の一冊ですら読もうとしないのだから、自らの性の捌け口としてボーイズラブを読んでいるとはっきりと言えばいい。男たちが、性の捌け口としてエロゲーをしているのと同じようなものであると。

2010年5月掲載

以下は、その後に起きたことなどの追記です。


歴史的な経緯を追加すると、世界保健期間(WHO)が国際疾病分類(ICD)で同性愛の項目を削除したのは、1990年に承認し1992年出版から。つまり、WHOでも1992年出版まで同性愛を精神障害と見なしていた。もちろん、女性に女性というだけでそんなことをすることはない。異性愛女性と同性愛男性にある歴史的な権力の勾配、権力関係を無視することはできない。

BL擁護で問題なのは、「今まで男たちに主体性があった性を愉しむ文化がBLによって女性たちにも開かれた」などと素朴に肯定すること。男女で問題になってきたのは権力の勾配がある中での女性差別であったのに、異性愛の女と同性愛男性という権力の勾配がある中でのゲイ差別を全く考えていないことだ。異性愛の腐女子のためには、性的少数者のゲイを愉しむ権利が女たちにはあるというのは、男女の権力関係での女性差別批判とは180度の違いである。

腐女子の中でも、最も問題があるのは、腐フェミと言われる腐女子ネトフェミ。男女では権力関係があるから男は反省しろと言いながら、異性愛の女とゲイ男性にある権力の勾配を考えずに、平坦だと思い込み、ゲイを平然と玩具にする。散々、男性用漫画にある「女性差別」には熾烈に批判しながら、BLにあるゲイ蔑視には沈黙する。

さらに問題なのは、BLは学者でもその表現に権力の勾配があることを考えずに、女性への地平が開けたと肯定すること。ネットでいくら在日韓国人叩きをしても、学者間になると、権力の勾配がある日本人に反省を求めるし、これは当たり前だ。しかし、BLになると、腐女子ネトフェミそのままの女性への表現の自由万歳になり、そこにはゲイ蔑視があることをすっかり無視している。

BLでよくある描写の「愛のあるレイプ」でレイプされて始まるゲイ同士の恋、「ホモはファンタジー」と言うのは、その後もしっかりと健在である。本当にゲイへの差別をなくしたいのなら、異性愛の男であってもゲイとして生まれたかもしれないという認識を持って、自分の問題でもあったかもしれないと思わせることが大切なのに、BLはその正反対なことばかりしてきた。BLを読むことで、ゲイはどこか違うファンタジーの世界の住人の玩具であるとでも思い込んで、自分とは違う存在であると思ってしまう。BLはゲイ差別を広げるための好材料と言える。

以下のtogetterのコメント欄などを見ても、実際のゲイに対して危害を加えることを何とも思っていない。これは腐女子の自分への自虐だから許せと言いながら、男たちの自虐でも女性へのセクハラと言って表現批判してきたことをどう思っているのか。

twitterトレンド一位にまでなった、溢れ出る"ホモォ"にリアルゲイが一人思うこと。

BLが広めた妄想はますます一般層に普及して、攻めか受けかという単純な見方でゲイはセックスのことしか頭にないという偏見や、男同士の恋愛は至高で純愛に違いないという思い込みも広げている。受けか攻めかは女性に言えばセックスの体位に相当することでも、ゲイにはたやすく聞いてしまう。実際のゲイも男女の恋愛と同じように、そんなに美しいものばかりでもない。BLが拡散した妄想は、アダルトビデオによって広げた女たちへの妄想よりもかなり酷いことになっているというのがこの記事を書いてからの実感になっている。

ゲイは性的少数者なので、アダルトビデオのAV女優のマジョリティの恋愛や性行為よりも理解が甚だしく足りないので、もっと慎重に見る必要がある。しかし、実際にはBLが広げた妄想は上のtogetterやtwitterなどに散見しているように、ゲイ叩きをしてまでBLの妄想を擁護している。今まで女性は、仕事か結婚かを選ばないといけない苦悩の連続だったと言い続けられてきた。しかし、ゲイはそもそも結婚ができないので、仕事か結婚かで悩むことができるスタートラインにさえ立っていない。ゲイは女性よりも違法な存在だ。社会的な少数派は、多数派の女性よりも法的に制限された存在であるという基本的なことすら認識しないで、BLの妄想でゲイ叩きしている。

同性愛者の男性と異性愛者の女性の間には権力関係があるということすら分かってない。「同性婚が認められると禁断の恋でなくなるから、同性婚に反対」ということまで言ってるわけだが。アマゾンに「コミック・ラノベ・BL」とあって、何の制限もなく普通に見られるようになっている。男性用なら成人確認が必要な描写でも、BLならそれが必要ない。

『列島警察捜査網 THE追跡』の番組でBL本を万引きする女が「ボーイズラブ強奪女」として流れた時に、ボーイズラブと言う必要があるかと言って批判していた腐女子がいたが、今までさんざん男が読むエロ本に対しては、エロ本と冠を付けて男と一緒に報道されてきたことをどう思っているのか。エロ本を読む男は気持ち悪いと腐女子もかなり言ってきたわけだが。今まで、腐女子が男のエロ本には不寛容で叩きまくってきた因果が自らのBL本にも跳ね返ってきたわけで、因果応報だと言える。

そもそも、何度も言われてきたように、BLは実際のゲイとはかけ離れているファンタジーであるから、ボーイズラブを蔑称の意味で使うことがあっても問題ではない。万一、ゲイ自体の存在が価値がないなどで報道されたら抗議するべきであるが、BLが批判されたからと言ってゲイと結び付けて「ゲイの最大の理解者の腐女子」叩きを始めたなどと言うことが、ゲイに対する無理解を進めることになる。

しかし、不思議なのは腐女子ネトフェミは、CMでの年上男性と年下女性をおっさんの妄想表現と言ってそんな表現はやめろよとする意見に同調しながら、マジョリティの腐女子がマイノリティのゲイに現実離れした妄想の表現は絶対固持することだ。腐女子ネトフェミは権力関係があるから表現を規制しろと言ったら、BLの表現にも当然に規制がかかることすら分からないのか?女子差別だからと表現を萎縮させると、ゲイ差別だらけできたBLのほうがマイノリティ差別なのでさらに規制することになる。

さらに考えないといけないのは、自殺するのは男性が多い上に、同性愛者は自殺しやすい。つまり、同性愛者の男性は顕著に自殺しやすい傾向がある。その理由に、無理解な腐女子による暴力が一切なかったと言えるのかということもあわせて考えないといけない。

BLが男のエロ漫画と同程度になってから言え?男のエロ漫画は異性愛女性を描写しているので、比較対象としては不適当。建前上では、BLは同性愛の男性という社会的少数者を描いている。それなのに、アマゾンにはコミックと同じ欄になっている。男の描写のほうが優遇されているのではなく、社会的少数者をかなり差別的に描写してきても擁護されまくるBLのほうが異常事態だろう。

しかし、なぜ、栗本薫の件は過去のことだから関係ないと言い切るのか?異性愛女性への差別では戦前のことを今でも持ち出して批判して、その栗本薫以前の女性差別も現在に当てはめて延々と批判しているのに。性的少数者のほうが理解度が不足しているので、さらに歴史的批判は行わないといけないのに、栗本薫の件は過去のこと(だから都合が悪いことは言うなだと)

ゲイは外見上は普通のおっさんにしか見えない者だらけで、ゲイはファンタジーの世界の住人ではないのだから。「ゲイだから、同性愛男性だから化粧するもの」とは?

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