最高裁の夫婦別姓禁止は合憲

最高裁判所の大法廷で、2015年12月16日(水)に夫婦同姓が合憲であると判断された。これについて、かなり錯綜した議論が行われてきたので気になっていたことを書いている。以下に書いてあることは、この分野の歴史学者や女性史の研究者などの専門家は分かっていることなのに、口をつぐんできたことが不気味だった。

日本の夫婦同姓は確かに明治民法で夫婦同姓しかなく、夫婦別姓にはできない。日本の夫婦同姓は姓を夫婦どちらかに決めることはできるが、実態は、夫の姓を名乗るために妻が姓を変えることが96%と言われている。気になることは、これである。この状況で夫婦別姓になったら、かなり悲惨な結果が待っていることを歴史的検証から批判されてきたことがどれだけあったか。ほとんど聞いたことがない。

そもそも、日本が位置している東アジア圏で、夫婦別姓が女性を尊重してきたものであるとは真っ赤な嘘である。

上野千鶴子が以前に書いた著書に、『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)がある。そこに「夫婦別姓の罠」という項目があり、その中の「3 子供の姓の父系主義」にも以下の記述がある。

 また家父長制のもとで、夫婦別姓が抑圧的に働くこともある。別姓を主張する人の中には、たとえば同じ東アジア圏でお隣りの中国や韓国では夫婦別姓が実行されているのを見て、「女性解放がすすんでいる」と短絡的な理解をする人々がいる。だが、中国も韓国も、日本におとらず、否、日本以上に父系制の強い国である。こういう社会では、父系集団に嫁入した女は、姓の同じ集団の中で一人だけちがう姓を名のりつづけることで、終生その集団にとってヨソモノであるという記号を背負う。

これは繰り返し強調しないといけないほどに、重要な歴史的事実である。信濃毎日新聞の夫婦別姓論を嗤ふ:韓国の夫婦別姓を持ち上げる信濃毎日新聞にも書いたが、2011年の記事で『信濃毎日新聞』は、「「別姓は家族の絆を崩壊させる」といった反対論がある。論理に飛躍が過ぎないか。たとえば、韓国は夫婦別姓だが、家族の結びつきの強さで知られる」と書いてしまっていたのである。『信濃毎日新聞』の知性の低下もここまできたかと思ったものだ。

韓国が夫婦別姓なのは、夫の姓を妻に名乗らせず、妻を格下に見て、妻を夫の家系からはじき出すためにあるものだ。「韓国の家族の結び付きの強さは、韓国が夫婦別姓だからだ」と言ったら、韓国の女性運動家はどう言うだろう。「韓国の夫婦別姓の父系家族の男優先の社会のために、夫婦別姓で韓国の女性が犠牲になったことを何も考えていない」と言い返されるのだ。『信濃毎日新聞』は、父系家族の結び付きを強めるためには、妻を夫の家系からはじき出すのを是としているのである。韓国では夫の姓を子が名乗り、そして、韓国型の父系社会を築いてきた。その元になってきたのが、韓国の夫婦別姓なのだ。韓国の夫婦別姓は、韓国のフェミニストに言わせれば、韓国の男尊女卑の象徴の一つである。

そして、これは、日本も例外ではない。夫婦別姓派には、今でも韓国も夫婦別姓だからと言う者が少なくないし、夫婦別姓の議論で、実は明治民法の前には日本も夫婦別姓だったと「称賛」される意見をかなり見た。確かに、夫婦別姓だった。そして、明治民法で夫婦同姓にする時に、家族の絆が壊れるという批判も出たのだ。これは、一体どういうことなのか。明治民法以前の夫婦別姓でも、夫の姓が重要視され、夫の家系が重視されてきたのだ。それを夫婦同姓にするから、父系家族の絆が壊れると批判が出たのだ。つまり、明治民法の夫婦同姓は、当時はかなり先進的なものだったのだ。夫の家系が重視され、妻が家系から阻害されるのを夫婦同姓は防ぐことができた。

妻が家に嫁ぐというのが何か女性蔑視であるかのように受け取られているが、家に嫁いで夫婦同姓にできることは、夫と妻が同じ家系の一員であると宣言したものだった。こういうことは、この分野を専門に研究している者たちは分かっていることのはずが、都合が悪いのか話したがらない。そして、問題なのは姓を変えるのが96%が妻であることだ。つまり、夫の姓がそれだけ重視されているのだ。これが、夫婦別姓になるとどうなるのか。夫婦別姓になっても、夫の姓が重視されるのは変わらない。夫の姓を名乗る子供だらけになる。夫婦別姓になると、女性に多様性ある尊重をではなく、家から妻が阻害される社会になりはしないか。

96%も夫の姓を名乗る社会では、夫婦別姓が選択できるのがよいのか。今の夫婦同姓では、曲がりなりにも、夫の同姓として妻は家系の一員である。これが別姓になると、韓国型の夫婦別姓の思想が入ってこないか。実際に、『信濃毎日新聞』は2011年でも、まだ韓国型の夫婦別姓を称賛しているのだ。日本は、東アジア文化圏にあることを忘れてはならない。夫婦別姓になると、せっかく、夫婦同姓で妻も家系の一員になったのに、また逆戻りして、家系から阻害されることが心配なのである。このことを最高裁の大法廷で考えることがあったのかどうかだが、最高裁が夫婦同姓を合憲としたのは、妻が夫の姓を96%もが名乗っている現実から見たら、合憲と判断したほうが社会的公平性が保たれる。

今回の最高裁の夫婦同姓の合憲判断は、夫婦同姓と夫婦別姓の歴史的経緯、東アジア文化圏に位置する日本の文化論から考えても、まともな判断と言っていいものになった。

《追記》

そもそも日本は夫婦別姓が原則で、北条政子もそうであった。1870年(明治3)の太政官戒告から庶民が姓を持つようになったわけで、1876年の太政官指令の「婦女他家ニ嫁スルモ仍(な)ホ所生ノ氏ヲ用フヘキコト」で、夫婦別姓の原則を言っている。「封建時代で女性差別が酷かった」などと言っていた時代が実は夫婦別姓だったわけで、普段言っている「女性差別」とやらとの整合性はどうなるのか?

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2015年12月掲載



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