男性差別と女性差別

当サイトの反省の女性学は、フェミニズムを批判しているが、男性差別を主張しているわけではない。男性差別と喚きたてている多数派の男たちは、自らが社会の多数派に位置することを無視して差別を言っている。滑稽なものになると、白人が黒人に「人種差別」されたと喚きたてているのと似たものも出てきてしまっている。

男性差別と言うなら、同性愛者の男性が異性愛の腐女子からおもちゃにされているのは、確かに男性差別だと強弁することもできる。しかし、それ以前に、ゲイ差別であって、同性愛者の男性に対する差別である。男性差別と言うと、同性愛者の男性というのが捨象される。障害者の男性への健常者の女性による差別は、確かに男性差別と言うこともできる。

しかし、それ以前に、障害者差別である。ゲイ男性へ、障害者男性への差別を言う時に、ゲイと障害者を捨て去って、一般の男性差別へ摩り替えるのは、異性愛の男、健常者の男が、自らの差別を捨象したいからだ。そして、男性差別が滑稽なのは、反省の女性学で批判している女性差別と構造が似ているからだ。

ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』が訴えること

白人女性たちは、人種的な違いがあるという現実に面と向かいたがらず、わたしたちを、フェミニズム運動に人種をもちこむ裏切り者だと非難した。白人のフェミニストたちは、まちがったことに、わたしたちがジェンダーから他の問題に焦点をそらそうとしていると思ったのだ。(107頁)

つまり、フェミニズムで最も利益を得てきたのは特権階級の白人女性であり、日本では、特権階級の日本人女性である。女性差別も、男性差別も、権力側の女と男に都合よく使われるものという構造は似ている。差別と言うのなら、差別論の原則は、権力側からの差別を批判することだ。しかし、女性差別も男性差別も、権力側からの差別を擁護することになってしまっている。

女性差別と喚き立てれば立てるほど、権力側の女性に都合よく働いてきていることは、このサイトにも書いているし、女性間格差の拡大が広がることは、特権階級の女たちにとって都合がいいことだ。特権階級の女たちは、そうではない女性たちを都合よく使う物資くらいにしか思ってないことは、今までの歴史が証明している。

結局、女性差別も、男性差別も、権力側に回収されないためには、具体的な差別に言及しないといけない。例えば、女性差別を言う時には、健常者の恵まれた女性ばかりが喚き立てるのではなく、より大変な貧困層の女性や障害者の女性に目を向けるべきである。そして、男性差別も、既に書いたように、一般男性への差別を言って障害者差別などを無視したりはしないことだ。

男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由に関して、そこに書いていることの引用。

 男性自殺率の高さを言うことが男性差別の主張であると言うことの問題は、人命は最も重要な人権問題であり、男性自殺率が高いのは女性も含めて社会構造を構築してきたからだ。男性差別ではなく、男女問題であり、さらには社会構造全体の問題である。それを男性差別と矮小化するのなら、女性に対する偏見と言われるあらゆることも社会の問題でもなく、男性は関係ないから女だけで解決しろとなる。

 つまり、男女雇用機会均等法なども含めた社会・法整備も必要なくなる。人命問題を軽視して知るかよの姿勢が、女性に跳ね返ってきていることを真摯に考えるべきだろう。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2016年2月掲載



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