「痴漢がいるから痴漢冤罪が起こる」問題

痴漢と疑われて線路に逃げていることが問題になっている。それに関連して、痴漢冤罪の被害に合ったという男性にさえ、そもそも本当の痴漢をするバカいるから悪いと責めているのは、責めているほうがバカである。

それを言うなら、世の中には詐欺犯が溢れかえっている。詐欺の冤罪に合うのは、本当の詐欺犯がいるのが悪いのだから、詐欺の冤罪くらい我慢しろと言うのか?

本当の詐欺が0にならない限り詐欺の冤罪は起きるのだから、まずは詐欺を0にしてからでないと冤罪を語るなと言うのか?

痴漢冤罪の場合であれば、痴漢がいなくならない限り痴漢冤罪を男が言う資格はないと言っているのだから、それを言ったら、詐欺犯の女も溢れかえっているのだから、女たちが詐欺の冤罪に合っても自業自得になってしまうのだが。

さらには、殺人の冤罪はどうだろうか。殺人の冤罪の場合には冤罪被害者に非常に丁重に扱われて、国家による被害者であるとする報道がよくあるが、これも、そもそも殺人犯がいるから冤罪が起きるから、殺人の冤罪くらい我慢しろとでも言うのだろうか。

痴漢がいるから冤罪が起きるから、痴漢冤罪くらい我慢しろと言ったら、それは女たちが受ける冤罪も我慢しろという社会になるが、こんなことを全く考えないで痴漢では感情論ばかりになるのは、なぜなのか?

まさか、世の中で痴漢被害者こそが非常に辛い経験だからとでも言うのだろうか?詐欺の被害者は非常に過酷な経験をして、自殺してきた詐欺の被害者も少なくないのだが、詐欺くらい痴漢に比べれば軽いとでも言うのだろうか?

性別で男に加害者がよっているということであれば、女に加害者がよっていることもある。国際的に問題になっている日本の女たちによる子供の連れ去りは子供への重大な人権侵害であり拉致であるとして、国際的な指名手配までされてきた。

痴漢をする男が多いから冤罪くらい我慢しろと言うのなら、国際的に子供を連れ去る女は日本の女たちが突出しているので、子供の連れ去りの冤罪くらい日本の女たちは我慢しろということにもなる。

さらには、歴史的な性加害の歴史で、男たちが女たちにしてきたことのジェンダーまで絡めて痴漢冤罪くらい我慢しろとなると別の人権問題ではどうなるのか。

例えば、同和問題だ。被差別部落と言えば、自称人権派でも同和利権と騒ぎ出すことは珍しくない。しかし、痴漢冤罪の理屈で言うと、同和利権が起きるのは被差別部落差別があるからで、被差別部落差別が一切なくならない限りは、同和利権くらい我慢しろとなる。

実際に、今でも被差別部落差別は「厳然と」存在する。ネットで被差別部落差別者であるとして書き込むと、エタだのヒニンだの言って叩かれまくる。そうであるのに、同和問題=同和利権と言っていいくらいに、被差別部落差別を利権に摩り替えていることを自称人権派もしてきている。

痴漢冤罪の理屈では、非被差別部落者の純日本人には被差別部落差別者としての責任があって、被差別部落差別がある限り、それが0にならない限りは、同和利権があることを批判するなということになるが。

これを言うと、痴漢冤罪で痴漢がある限りは冤罪があっても仕方ないと言っている自称被害者重視を謳っている女たちも、一転して被差別部落叩きをして、本音ではエタとヒニンが偉そうに利権を貪っているのが同和問題という態度になる。

痴漢の時だけは冤罪が叫ばれるとか、冤罪が最も叫ばれるのは痴漢というのは大きな間違いだ。最も冤罪だの利権だの叫ばれてきたのは、同和問題だ。同和問題の場合には、同和利権とまるでイコールであるかのようにまで、被差別部落差別を全く無視して、理不尽に叩かれてきた。

結局のところ、痴漢冤罪の理屈での、「加害者が0にならない限り、冤罪被害者のことは軽視していい」というのは、あらゆる人権問題に当てはめると、どうなるか考えてないのだ。

痴漢冤罪の場合だけは、突出して、冤罪被害者に対してさえも痴漢が0ではないのだからそれくらい我慢しろと叩かれるのは、女性差別が絡むと途端に思考停止する日本という国の程度の低さのあらわれだ。

痴漢冤罪には、何の痴漢加害者もいない痴漢でっち上げや痴漢ビジネスもあるのに、そんな冤罪でさえも痴漢がいるから仕方ないで済ますのなら、純日本人が同和利権で会社から叩き出されて無職になったりするのも、純日本人がしてきた加害行為の歴史があるから仕方ないのか。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。

2017年5月掲載



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