売春防止法の俗説の誤りについて

ウェブ上の文章などを読んでも、売春防止法は女性の売春に刑事罰があるが、男性の買春には刑事罰がない非対称性がある女性差別の法律と思い込んでいる人が多いようだ。日本では売春は違法だが、売春自体の単純売春には刑事罰はない。

第23回男女共同参画会議女性に対する暴力に関する専門調査会議事録

日時:平成15年10月31日(金)10:00~12:00

https://web.archive.org/web/20040206190511/http://www.gender.go.jp/danjo-kaigi/boryoku/gijiroku/bo23-g.html

○白濱法務省刑事局参事官

 それから、売春の問題でございます。いわゆる児童を対象とする売春はまた別といたしまして、成人女性に対する売春という問題にいたしますと、売春防止法は売春をする行為 あるいはその相手方となる行為を禁止しているわけでございますけれども、ただ、売春行為あるいはその相手方となる行為のいずれについても、これを処罰するという規定を置いているわけではございません。これは先生が御指摘のとおり、判断能力が十分にある者に対しては私生活上の行為ということで、あえてこれを刑事処罰の対象とはしていないというわけでありまして、ただ勧誘とか、そのものではないものに関してやはり性風俗を害するものに関しては処罰しているわけで、それに関して厳正な取締りということをこのペーパーに書いているわけでございます。

「売春防止法は売春をする行為、あるいはその相手方となる行為を禁止している」のは、売春防止法の第三条にある。

第三条 何人も、売春をし、又はその相手方となつてはならない。

第三条は、売春だけでなく買春も同じに扱っている。買春という言葉がないだけだ。「売春行為あるいはその相手方となる行為のいずれについても、これを処罰するという規定を置いているわけでは」ないのが売春防止法であって、「売春防止法は売春女性のみを処罰する女性差別の法律」という根拠はどこにもない。

売春防止法は売春も買春も違法で禁止しているが、その両方ともに処罰規定がない。これを考えれば、売春防止法は男女の非対称性が厳然とある女性差別の法律というのは間違いだ(男女の非対称性が厳然とあるのは、刑法第百七十七条の強姦)。

売春防止法は売春自体の単純売春は違法ではあるが処罰規定を置かず、売春を助長する行為等の売春の周辺のことを処罰化して売春を防止しようとするもので、売春女性を処罰しようとして出来たものではない。

昭和60年版 犯罪白書 第4編/第2章/第2節/2 「2 罰金・拘留・科料」(太字強調は引用者)

http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/26/nfm/n_26_2_4_2_2_2.html

売春防止法違反により処罰される者は,売春を行う婦女自身であることは極めてまれで,売春の周旋を行ったり,周旋の目的で人を売春の相手方となるよう勧誘したり,婦女に売春を行う場所を提供したり,婦女に売春することを約束させて雇用する等の行為を行った者が大部分であり,いわゆる営業犯的なものが中心となっている。

『岩波 女性学事典』(岩波書店)の「買春規制」の項目に、福島瑞穂が以下の文章を書いている。

売春ではなく買春を規制しようということ.(中略)大人に対する買春については,スウェーデンが98年,金銭による一時的な性的関係を取得する者は,金銭による性的サービス取得の罪により処罰されるとして,売春を処罰せず,買春のみを処罰するようにした.これは,買春規制として大いに注目すべきである.

日本共産党の吉井英勝は、2005年10月14日の「163国会 衆院内閣委員会」で当時の国務大臣である自民党の村田吉隆に以下のことを言っている(太字強調は引用者)。

吉井英勝 1014_会議録全文

http://www.441-h.com/hotnews/kokkai/05/1014a_zenbun.htm

 売春というのは大きな人権侵害ですが、売春防止法では買う方の買春者は罪に問われない、禁止を規定しているが罰則はない。これでは売春撲滅という目的達成はできないわけですから、やはり売春を必要悪として買春はとがめないという風潮があってはとんでもないわけで、人身売買罪の制定をきっかけに、買春に刑罰を科すことで性的搾取の最たる売春を撲滅、一掃するという取り組みを、これは大臣、あなたが法務大臣の所管までというふうに私は言っていないけれども、やはり内閣を挙げてそのことにきちっと対処していく、そのことをやらないと、私は本格的な解決というのはなかなか進まないと思うんです。これは、大臣に伺っておきます。

http://www.441-h.com/hotnews/kokkai/05/1014a_zenbun.htm

買春についてもきちんとした、相手が児童ということだけじゃなしに、そこに処罰を含めてきちっと対応するということをしないと、幾ら警察の方が風営法を改正して一生懸命取り組んでいるといっても、これは根本的になかなか解決しない。

吉井英勝は「相手が児童ということだけじゃなしに」と言っているので、成人の売春者を買春する者に対しても、刑事処罰をしろと言っている。

吉井英勝はそこで、「買春という行為は、これは人身売買そのもの」とも言っている。この考えは、キャサリン・マッキノン『キャサリン・マッキノンと語る―ポルノグラフィと売買春』ポルノ・買春問題研究会翻訳/編集(不磨書房)でキャサリン・マッキノンが「すべての売買春はレイプの一形態である」と言っていることに通じる思想だ。ポルノ・買春問題研究会は児童ポルノ法案の問題でも特にその言説に批判が集まっているが、吉井英勝が考える「自由」は、成人同士の売買春でさえも認めない。

国家権力が成人同士の法律行為を刑事処罰するのは、よほどの問題がない限りはしてはいけない。国家権力に対峙しているはずの日本共産党の国会議員が、国が成人の法律行為を刑事処罰化することに賛成するのは、日本共産党議員の「反権力」なるものが単なる偽善に過ぎないということだ。

日本の売春防止法は、売春も買春も同じく違法であると宣言していることや、「売春防止法違反により処罰される者は,売春を行う婦女自身であることは極めてまれ」という売春防止法の歴史的経緯があり、単純売春に処罰規定がない売春防止法のことも考えると、福島瑞穂や吉井英勝の言うような成人の売春者を買春した者に対する買春規制は、日本の実態にそぐわない。

伏見憲明『性の倫理学』(朝日新聞社)「家父長制と性産業 快楽の市場では「良貨が悪貨を駆逐する」」の中で、上野千鶴子は以下のことを言っている(太字強調は引用者)。

売買春については、売春は許容し、買春は許容しない。要するに、どんな文脈でどんな判断をするかが問題です。システムの与件の変更を伴わないような原則論はナンセンスでしょう。なにしろ売春防止法は買春を許容し、売春を犯罪化しているのですから、これを逆転するだけのことです(笑)。それから、現にあるものをないことにして目をつむるわけにはいきませんから、短期的にはセックスワークの現場でのセックスワーカーの人権は擁護しても、長期的には買春は非合法化すべきだという、このような主張の組み合わせは矛盾しないと思いますよ。

ここで上野千鶴子が言っていることにも、売春防止法の基本的な知識の欠如がある。まず、売春防止法は、既述のように買春を許容していない。さらには、売春防止法は売春を犯罪化して、売春女性を処罰するものではない。「長期的には買春は非合法化すべきだ」と言っているが、現在の売春防止法ですでに、買春は非合法である。

上野千鶴子がここで言っているような基本的な間違いを真に受けて、「売春防止法は売春を犯罪化して買春を犯罪化してこなかったから、法改正して買春だけを犯罪化するようにしよう」などと言い出す者たちがいるが、フェミニストたちは間違ったことを平然と言うので注意が必要である。

買春は処罰するが、売春は処罰しないという法律なら、日本に存在する。児童買春禁止法と呼ばれるもので、児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律だ。

日本の売買春の現状は、売春防止法で売春女性が売春で処罰されるということはない。児童買春禁止法では、買春を処罰するが売春は処罰しない。これらのことを考えると、「日本は売春女性を処罰して、買春男性を処罰しない男性天国の女性差別大国」などという言説の間違いが分かる。

女性差別に関わる言説は間違った思い込みが多いが、売春防止法や売春女性に関する言説でも間違った言説が流布している。

2008年6月掲載分


以下は、関連の参考資料など。

上野千鶴子『発情装置―エロスのシナリオ』(筑摩書房)「「セックスというお仕事」の困惑」は『朝日新聞』にも掲載されたが、上野千鶴子はそこで以下の記述をしている。

 もちろん、この世の中には、いまだに自由売春の名にあたいする労働は微々たるものにすぎず、大半は強制をともなう管理売春が占めている。

伏見憲明『性の倫理学』(朝日新聞社)「家父長制と性産業 快楽の市場では「良貨が悪貨を駆逐する」」の中で、伏見憲明は以下のことを上野千鶴子に聞いている。

伏見 上野さんが「大半の売春は自由売春ではなくて、管理売春である」と発言したことに対して、現場からは「そんなことはない」という批判がありますが。

この質問に対して、上野千鶴子は「現場とはどんな現場でしょうか?日本における性産業の規模がどの程度のものかはわかりません」と答えている。上野千鶴子は特に調べもせずに、『朝日新聞』に載せてしまったことが分かる。上野千鶴子にも『朝日新聞』にも、「低俗な性風俗の調査など必要ない。適当な意見を載せておけ」という心理が透けて見える。「職業に貴賎あり」の思考がありありと見えるのは、この上野千鶴子や『朝日新聞』だ。

松沢呉一などによる『売る売らないはワタシが決める―売春肯定宣言』(ポット出版)の「性風俗と売買春」の座談の中でも上野千鶴子のこの発言が問題になっていて、238頁で南智子がそれについて答えている。

南…はい、わかりました。性風俗の仕事に入ってだいたい一〇年ちょっとなんですが、その間に見てきたことと、それから現在の現場から実際に起こっていることをお話ししたいと思います。ほかの国々はともかく、日本においては、現在、売春をしたくないにもかかわらず、拉致や犯罪的な方法で、強制されて売春をさせられている人は非常に少ないと思います。で、あった場合、それは刑事事件だと思いますね。

『売る売らないはワタシが決める―売春肯定宣言』の239頁には、以下の記述もある。

松沢… 今現在、売防法に基づいて設置された婦人相談所でも、日本人女性に対する強制売春はほとんど問題になっていません。


以下も、追加の関連の参考資料など。

女性を性の対象とした男女の非対称性の代表に言われる買春だが、日本は江戸時代にすでに女たちが男を買春していた歴史を持つことも注記しておく。

『日本歴史大事典』(小学館)に「陰間(かげま)」と「男色」の項目がある。どちらの項目も、鈴木章生が書いている。

陰間の項目には少年の陰子(かげこ)に関して、以下の記述がある。

後家や御殿女中を相手に男を売ったりもした。

男色の項目には、以下の記述がある。

江戸では芳(よし)(葭)町を筆頭に市中に陰間茶屋がたくさんあり、美少年は女性客に男を売って商売をした。

日本の売買春史では、男たちが女性を性欲の対象にして弄んできたとだけ言って終わることは、歴史的に見ると間違いだ。現代の日本の女性たちが出張ホストの男性を買春していることも、日本の売買春史から見ると、特に驚くことでもない。海外のバリやタイでも日本の女性が現地の男性を買春していることなどの「女が男を買春すること」は江戸時代にすでにあったことで、日本では男女の性革命でもなんでもない。「男の買春を許さない!」とだけ言って溜飲を下げるのは、日本の歴史を顧みない浅薄なフェミニストの主張である。

浅薄なフェミニストは男女の生物学的な違いを考えずに、男の売春に言及する。男の売春は女のようには回数がこなせないことも考慮しない浅薄なフェミニストは、売買春に口出しをするべきではない。男の売春の値段の安さもあるので、男の売春はそう簡単にできるものではない。

売買春に反対する者たちは性の対象になってきた女性の歴史を言って、その中でも男が女の性を買春してきたことは厳しく批判するが、女が男の性を買春してきた歴史の言及を避けるのではどうしようもない。売買春に反対する者たちは性が縛られてきた女性を固定化する売買春に反対などと言って、女性の処女性についても素朴なことを言うが、日本の女性の処女性の歴史については以下の有名なルイス・フロイスの記述がある。

ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』岡田章雄訳注、岩波文庫

第二章 女性のその風貌、風習について

1 ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。

網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』(ちくま学芸文庫)の145頁には、このフロイスの記述について「そこで詳しくフロイスの指摘を検討しているうちに、私は、どうもこれはみな本当のことなのではないか、と思うようになってきました」と書いてある。そして、検討した記述の後に以下のことを書いている。

網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』ちくま学芸文庫、154-155頁

 そしてこのように考えてきますと、フロイスが「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ結婚もできる」といったことも、決して不自然なでまかせとはいえませんし、「日本では娘たちが両親に断りもしないでどこでも出掛ける。妻は夫に知らせないで出掛ける」というのも十分あり得ることだといえそうです。
 ですから、フロイスの記述は、この点でも決して不正確ではないと思います。ただこういうふうにずばっと書かれると、私たちはびっくりしてしまうのですけれども、むしろこれを事実とした上で、当時の女性の問題を考える必要がある、と私は考えます。

赤松民俗学のことも考えると、日本で女性全体に処女性が求められるようになったのは、日本史の中でも極最近のことである。

赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』ちくま学芸文庫、116頁

 私のオヤジなどは、夜になると隣近所のムラから娘や女たちが二、三人連れで現われ、家の廻りをウタいながら誘い出しにきたそうで、祖母が聞かせてくれたのだからタシカなもんだ。夜這いは男が行くだけでなく、女の方からも通ってきたのである。俺は百人斬りがすんだという若衆がおり、「なんや、そんなもん、うちら十七で男の百人抜きぐらいしたぜえ」と、おばはんに叱られていた。「へえ、俺で、なん人抜きや」「お前か、千人めぐらいやろ」と脅かされる。私の在所では若衆が女の百人斬り、女が男の百人抜きを基準にしていた。千人になると盛大に祝宴を開いて、「千人供養」をしたそうである。ほんまかいな、と疑ったら、いろいろと事例を教えてくれた。

『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』には、夜這いの様々な具体例が書かれている。日本の夜這い文化を自身で体験して、最も掘り起こし、そして、それらを記してきたのが赤松啓介だ。

女性が男たちに処女性を求められて、女性の性が縛られきたのが日本で、極最近になって、やっと女性の性が解放されたというのは、歴史認識が完全に間違っている。女性の性の解放が先進的と言う時には、今現在よりも、過去の日本のほうが先進的だったことが散りばめられていたこともある歴史の史実を直視する必要がある。

処女性が大衆に向かって女性一般に向けられるようになったのは日本では極最近のことで、日本の女性への性の抑圧は、日本では「発見」されたと見たほうが近いだろう。元からあったものではなく、日本の女性は世界でもかなり自由に性を謳歌できていたと見るのは、大衆の娘の視点ではそうなる。

昭和になっても炭鉱では女性が上半身裸で、その昭和の炭鉱の時代でも混浴であったのは、山本作兵衛の筑豊の炭鉱での描写が記憶遺産に残ったことでも分かる。『古事記』の天岩戸神話でも、天岩戸にこもった天照大神を引き出すため、女神の天鈿女命(あめのうずめのみこと)がしたのは、日本最初のストリップだ。神話から女性の性の解放がある性的儀礼が行われている国が日本である。

反省の女性学とはに、当サイトの反省の女性学の趣旨を書いています。



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